佛像圖彙354 付・浄土双六


【354】摩竭宮(まかつきゅう) 


[通釈] 

八 摩竭宮 


[解説] 

 摩竭宮は、黄道十二宮の10番目。やぎ座。トロピカル方式では、獣帯の黄経270度から300度までの領域を占める。冬至から大寒の間、太陽はここに留まる。磨羯宮は四大元素の土に関係していて、金牛宮・処女宮と一緒に地のサインに分類される。摩竭は古代印度の想像上の獣マカラのこと。上半身が山羊で下半身は魚。磨羯宮という名称は既に平安時代の日本で宿曜道用語として用いられていた。


[浄土双六]9 貪欲(とんよく) 


 これも三毒の一つ。一般には「どんよく」と発音していますが(慣用音)、仏教では呉音で「とんよく」と読みます。一般的にはむさぼる、尽きることなく求めるといった意味で使っていますが、仏教では心の状態そのものを指し、執着する心のことです。執着という言葉も仏教語で、ほぼ貪欲と同じ。「しゅうじゃく」と読みます。貪欲も執着も修行のさまたげとなるものなので、特に修行者に対して戒めの筆頭として教えるとのこと。 生きている以上、また、自分というものがある以上は見るもの聞くものすべて主観で判断する。当然、好き嫌いもあれば、求める気持ちも強くなる。ただ、主観による決めつけ、求める気持ちが過剰になると、生きる上で害悪となることのほうが多い。そのため、必要最小限にとどめて、それ以上は求めない、欲張らないようにする。つまり自然体ですね。 

 絵は、大坂堂島の米相場の市の様子だと思われます。江戸時代も中期になると大商人たちによる米相場の操作や不当なつり上げが横行するようになり、米の価格暴騰は諸物価の値上がりも引き起こすようになった。8代将軍吉宗はこれに危機感を覚え、大岡越前らに命じて取締りや説諭などを根気よく続けたものの、結局行政の完敗に終わり、以降、現代まで大商人、財界が政治に容喙したり政治を動かす状況が続いています。 本来、商売も人々の暮らしに協力するためにあるので、生産者と消費者の間にあって双方を助ける役目なのに、少しでも安く買い集めて高く売ろうとするように欲を持つと果てしなくなる。公共事業や慈善事業で社会に貢献した立派な大商人もいますが、あの世に持っていけないのに蓄財一辺倒の人も多い。吉宗が将軍の立場でも大商人の貪欲さを止めることができなかったのは、幕府や諸藩は財政難で大商人から借金をしなければならなかったから。こうなると武士も商人に頭は上がらないし、商人は商人で身分が上の武士を軽視し、馬鹿にするようになる。米という現物が税金だったため、これをカネに換えるにも商人が必要。いくら仏教の面から貪欲は悪だと教え示しても、寺院もまた運営のためにおカネが必要で、幕府から少しでも多くの寺領をもらおうと奔走、働きかけをしたぐらいだから、このような双六による啓蒙も空しいものに。  

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