1903年の大阪博覧会(2)
1903年の大阪博覧会(2)
『滑稽新聞』「博覧会論」(東京 ヘマ入道)の前半部分を紹介。
西を向いても、東を向いても、博覧会の噂で持ち切り、なんとエライコッチャ、どエライコッチャおまへんかと、今年は福の神が大阪へ舞い込んだように驚喜雀躍(きょうきじゃくやく)、まことにハヤ結構千万なる次第なり。さりながら我が帝国もとにかく欧米各強と肩をならべて、文明の仲間入りをしたとやらいう。自分ギメかも知らぬけれど、何しろ東洋の進取国と目ざされたる上は、そういつまでも内国博覧会ばかりでもあるまじく、世界の大博覧会も追っては計画さるるなるべし。しかるに馬車も通れぬ都市が、帝国第二の大都会で候(そうろう)と力味(りき)んでいるようではなかなかまだ縁の遠い話にて、内国の博覧会すら、出品の過多に持ちあぐい、急に鑑別を厳しくして、お茶を濁す始末とあっては、随分と心細き至(いたり)にして猿真似のエセ芝居に類する点も少なからぬようなり。
さればここに世界大博覧会は到底当分及ばぬ恋と諦めて一つ
滑稽世界大博覧会
を企てて、第一に
賄賂学研究大会
花柳病万国会議
ユスリ新聞世界大同盟会
詐欺師万国一致会
東西団栗(どんぐり)文士大会
等をもあわせて大阪に開場するならば、随分と珍奇な出品も集まり、各国の悪徒やイカサマ人間が続々と来遊して、互いにその妙技を競争するならんと思わる。しかして賄賂、ユスリ、詐欺、淫売の諸点においては、オサオサ引けを欧米諸国に取らぬのみか、かえって逆輸出を試みるまでに進歩していることであるからその盛会は請け合いなり。(引用以上)
東京の筆名ヘマ入道という人の投稿ということになっているが、これも外骨流の韜晦である。つづく
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