1903年の大阪博覧会(1)
1903年の大阪博覧会(1)
2025年、大阪で二度目となる大阪万博が開かれようとしている。しかし、大阪での博覧会は実は明治時代に一度開かれている。万博ではなく、内国勧業博覧会。当時、国内各地で開催されたもので、大阪は第5回。
期間は明治36年(1903)3月1日から7月31日まで。美術館、教育館、機械館、農産館、水産館、通運館、各地方館、それに英・米・仏ほか13か国の外国館が参加し、それぞれ自慢の技術や物産などを展示し、文明開化を実感できるようになっていた。しかし、それよりも日本のすばらしさは欧米先進国に比肩するといった自尊心を国民に植え付けるといった狙いもあり、官民挙げての力の入れようだった。
また、大阪博覧会は東京と開催地を競って勝ったということから、大いに大阪人たちの優越感をくすぐった。大阪こそが都であるという意識も一部に芽生えるように。
さて、当時大阪で『滑稽新聞』を発行して官吏や富商らの悪事を暴き、激しく追及していた宮武外骨は、大阪博覧会も不正や汚職、イカサマに溢れていることを見抜き、さっそく得意の表現方法で世間に伝え、批判した。投獄や罰金などを繰り返し受けながらも軟化、転向することなくジャーナリストとしての本分を貫徹した。現代こそ必要な人物である。つづく
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