1941年7月18日

1941年7月18日 昭和16年

【内 閣】

第2次近衞文麿内閣

総理 近衛文麿/外務 松岡洋右/内務 平沼騏一郎/大蔵 河田烈/陸軍 東條英機/海軍 及川古志郎/司法 柳川平助/文部 橋田邦彦/農林 井野碩哉/商工 豊田貞次郎/逓信 村田省蔵/鉄道 小川郷太郎/拓務 秋田清/厚生 金光庸夫/国務 小倉正恒 鈴木貞一

内閣書記官長 富田健治/法制局長官 村瀬直養

企画院総裁 鈴木貞一/次長 宮本武之輔

情報局総裁 伊藤述史/次長 久富達夫

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 原嘉道/枢密院副議長 鈴木貫太郎

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 木村兵太郎/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 塚田攻/教育総監 山田乙三

[海 軍]

海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭

【植民地高官】

朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介

満鉄総裁 大村卓一

【東 京】

府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎

【国際連盟】

事務総長 ショーン・レスター(アイルランド)


サンフランシスコ航路の戦前最後の船「浅間丸」が横浜港を出航


近衞文麿が39代内閣総理大臣に就任し、第3次近衞文麿内閣が発足。松岡洋右外相を更迭

[第3次近衛内閣]

第2次近衛内閣において外交策に強硬論を唱え、閣内にあって暴走状態にあった松岡洋右外相の更迭は、政権存続のための急務となっていた。しかし松岡に辞任を迫っても彼がすんなりとそれに従う保証はなく、むしろ閣内不一致を訴えて内閣と無理心中をするのではないかと危惧した近衛は、一計を案じて全閣僚から辞表を取り付けると参内していったん内閣総辞職の形式を取り、その場であらためて大命降下を受け、松岡を外す形で内閣を改めて組閣した。事実上の内閣改造である。松岡の後任の外相にはこの3か月前に商工相として第2次近衛内閣に招かれたばかりの豊田貞次郎(予備役海軍大将)が横滑りされた。ワシントンで日米交渉に奔走する野村吉三郎駐米大使が豊田の海軍の先輩であり同郷でもあることから連携がうまくいくことを期待した人事だった。しかし日米交渉は難航する。近衛は次第にその先行きに悲観的となり、政権に嫌気して組閣から3か月余で10月18日に政権を投げ出す形で内閣総辞職した。

総理 公爵近衛文麿(貴族院所属:火曜会) - 10月18日

外務 豊田貞次郎(予備役海軍大将[海兵33期])- 10月18日

内務 田辺治通(貴族院所属:無所属倶楽部)- 10月18日

大蔵 小倉正恒(貴族院所属:昭和研究会) - 10月18日

陸軍 東條英機(軍人:陸軍中将[陸士17期])(第2次近衛内閣から留任) - 10月18日

海軍 及川古志郎(軍人:海軍大将[海兵31期])(留任) - 10月18日

司法 公爵近衛文麿(首相兼任・貴族院所属:火曜会) - 7月25日 岩村通世(司法官・元検事総長): 7月25日 - 10月18日

文部 橋田邦彦(東京帝大医学部教授)(留任) - 10月18日

農林 井野碩哉(官僚:農林省)(留任) - 10月18日

商工 左近司政三(予備役海軍中将[海兵28期]・貴族院所属:同和会) - 10月18日

逓信 村田省蔵(貴族院所属:同和会)(留任) - 10月18日

鉄道 村田省蔵(逓信相兼任・貴族院所属:同和会) - 10月18日

拓務 豊田貞次郎(外相兼任・予備役海軍大将[海兵33期]) - 10月18日

厚生 小泉親彦(予備役陸軍軍医中将) - 10月18日

国務 平沼騏一郎(枢密院議長)(留任) - 10月18日

柳川平助(予備役陸軍中将[陸士12期])- 10月18日

鈴木貞一(予備役陸軍中将[陸士22期])(留任) - 10月18日

企画院総裁 鈴木貞一(予備役陸軍中将[陸士22期])(留任) - 10月18日

内閣書記官長 富田健治(留任) - 10月18日

法制局長官(留任) 村瀬直養(貴族院所属:昭和研究会) - 10月18日

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。