【諸乗法数】14
【諸乗法数】14
觀音十四無畏
首楞(嚴經)
註 『首楞厳経』巻六に記載されている観音菩薩の衆生に及ぼす不作為の功徳十四。更に『法華経』普門品(俗に観音経。特に偈文)に詳述されている。観音のことを施無畏ともいう。
一、観音を観るのではなく、観音を観る者を観る。そうすることで、十方の苦しむ衆生は皆、観音の音を観ることで救われる。
二、知識と洞察力が回復され、衆生が大きな火の中に投げ込まれたとしても、火で焼かれることはない。
三、観察し聞くことによって、衆生は洪水に流されても溺れることはない。
四、すべての妄想を消し去り、殺意を持たず、衆生が鬼の領域に入ることを許し、鬼が彼らに危害を加えることがないようにする。菩薩は衆生に鬼の煩悩と羅刹鬼国の煩悩を恐れさせない。
五、匂いは聴覚となり、六つの感覚器官は音を聞くのと同じように消滅し、回復する。これにより、衆生が殺されそうになった時、刀を砕き、武器を水を切り裂いたり、吹き飛ばしたりするようになり、性質は揺るがない。
六、法を聞き、法を嗅ぐことによって得られる智慧は、法界全体に遍満し、あらゆる暗く濁った性質は残らなくなる。こうして、夜叉、羅刹、雲母、貂蝉、菩提など、すべての衆生は、近くにいても何も見えなくなる。
七、音の性質は完全に消滅し、観察と聴覚は内へと戻り、あらゆる塵や迷いから解放される。これにより、衆生は束縛や束縛から解放される。
八、音を消し、聴覚を完全にし、普遍的な慈悲を生み出して、衆生が泥棒に盗られることなく危険な道を通れるようにする。
九、香の香りは塵がなく、情欲に邪魔されることがなく、あらゆる欲深い生き物を貪欲から遠ざける。
十、音は清浄で塵がなく、根源と環境は調和して一体となり、対立物や反対物がなく、すべての怒りの衆生の怒りを鎮めることができる。
十一、塵は滅し、光明は回復する。法界の心身は宝石のように何の遮るものもなく明るく澄み渡る。それは、鈍く、妨げられている無上人が、無知と闇から永遠に解放されることを可能にする。
十二、身と耳を一つにし、修行の場を不動とし、世に往生しても滅せず、十方を遍歴し、塵のように無数の仏を供養し、各仏の傍らに法の王子となる。法界に子を授かりたいと願う無子の衆生に、福徳智慧に恵まれた子を授けることができる。
十三、六つの感覚器官が完全に貫徹され、二元なく照らし、十方を包含し、大円鏡のような如来蔵を建て、十方の如来の秘法を守り、誤りなくそれを授ける。これにより、法界に子を持たず娘を望む者は、美しく徳高く柔和な娘を産み、皆から愛され、敬われるようになる。
十四、この三千大千世界の中には、幾億もの太陽と幾千万もの月があり、現在六十二のガンジス河の砂の法王子がこの世に住している。彼らは皆、仏法を修めて模範を示し、衆生を導いて修め、衆生の意に従順に従い、方便の智慧を備えており、それぞれが異なっている。彼らは衆生に観音の名を称えさせ、彼らと共に六十二のガンジス河の砂の法王子を称える。両者の福徳は等しく、差異はない。
観音菩薩は十二の大願を立てた。三災(火、水、風)を救うこと、四難(難、鬼、囚人、盗人)を逃れること、三毒(貪、瞋、無知)を取り除くこと、二つの願い(男の子を願うこと、女の子を願うこと)を叶えること、名を唱えて福を得ること。この十二の大願により、衆生に十四種の無畏が与えられる。観音菩薩の聖なる名を唱えることで、地獄、餓鬼、畜生、生老、病死、毒竜や毒獣、呪いや毒、戦の恐怖、苦しみや死などの他の困難からも解放される。
※図はこちら→ https://note.com/11111hiromorinn/n/n8462e9e836d8
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