封面について[1]

封面について[1]

和刻本封面(見返し)の三分割形式については、『書物・出版と社会変容』研究会誌二十一号「近世出版書籍の文字と書」の中で少し触れた通り、例外もあるが多くは類型的形式が見られる。中央に書名が大きく掲げられ、右に著者。左に本屋あるいは蔵版元の三分割掲載をする。ルーツは中国の出版に範をとったものと思しい。

封面の事例『復堂遺稿』(ふくどういこう 芳野長毅著、逢原堂蔵版)


もちろん封面そのものを持たない出版も多いのであるが、封面を作る際には前述形式を採用する事例が多い様子である、という話。これも悉皆調査などして数的根拠が示されればそれが好ましいのだろうが、同じ本であっても封面の有無の事例が確認できることから、一本の例を挙げて全部について語ることが困難である。これは和刻本についてはよくあることで、画像公開されている一本が全部を代表している訳ではないのである。ただその公開の本についてはその通りであるということに過ぎない。

題簽の有無。封面の有無。序跋文の差し替えや省略、製本の際の前後の順番違いなどはよくある。本文についても頭注や評の有無が起こったりする。同じ本だが同じとは言えない状況がありうるのが和刻本である。扱う本屋の違い、製本の違いで表紙や本文紙の用紙の違いは、その時々の用紙調達の違いからも起こりうるし、製本場所が異なれば仕立てに差が出る場合もある。何事も一例で全部を語ることができないのが和刻本なのである。

紙面の都合で、一々前述の差異の事例をこの紙面で図版掲載はしないが、少し和刻本を扱えば、違いの多さに気がつくことになる。和刻法帖においては同じ原稿による手本でも印刷法の違いで、正面版、左版、凸字版のものが同時に存在したりもする。殊に正面版と左版は並べただけでは見分けがつかないこともあり、現物に触れて確認する必要がある。公開画像は一つの本の姿を示すことで基準を見せてくれるが、同じ本が全てそのようかといえば違いがあると断じて、それを前提に画像を利用すべきである。複数の同じ本を調査して、ようやくその本の場合はこのような作りであったらしいと述べることができるのである。たぶん、和刻本を普段扱っている人々にとっては当たり前の知識なのである。が、何処まで意識してそれについて考えるかは、個人的興味の度合いによって異なろう。上段掲載の封面は篆書を意識した版下が作られ、木版で摺られている。そこに篆書選択の意識が必ずあったはずなのだが、大概それについて言及されない。 つづく(東隅書生編著『東隅随筆』第564号より了承を得て転載。以下同じ)

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。