政談287
【荻生徂徠『政談』】287
(承前) 今はこのような風潮ゆえ、御老中でさえ、担当の役人がする事を自身が世話を焼き、それで忙しそうにされているが、とんでもないことである。このような行為を昔の書物には「大体を知らぬ者」とあり、大いに批判している。重役の面々でさえこのようであるから、その他の役人たちも皆、この風潮になってしまった。今は自分の管轄ではない所へも見廻りをするのを「勤め」と称する始末。私が田舎から出てきた時、このことを聞いて腹の皮が痛くなるほどおかしく、笑いを我慢することもできなかった。皆、忙しそうに歩き廻るのが大切な務めと思うようになったことから、こういう風潮に合わせて見廻りするのを「勤め」と称するようになった。この風潮は医者にも移り、その害たちるや甚だしい。今、貴人や大名などを見るに、なんの病気もないのに、煉薬(ねりぐすり)・丸薬などを常用する。はなはだしいのは煎じ薬を常用する。庶民も丸薬・散薬をいろいろ所持し、少し頭痛がしたり胸のつかえがあるとそのまま丸薬・散薬等を服用する。なんの病気でもない小児に灸(きゅう。やいと)を据え、疳(かん)の薬を持病薬として飲ませる。女中などはしきりに鍼(はり)を打たせる。これらはみな癖となり、薬を飲む必要がないのに飲みたくなり、灸を据えたくなり、鍼を打たせたくなる。
[語釈]●大体 『孟子』 告子上に次の問答がある(拙訳で)。弟子の公都子(こうとし)が尋ねた。「人はみな一緒のはずなのに、ある者は大人(たいじん)となり、ある者は小人(しょうじん)となるのはどうしてでしょうか」孟子が言った。「大体に従えば大人となり、小体に従えば小人となるものだ」大体とは大事な所、小体とは小さな所。人は、何につき、何に従うかによって、その人の器量の大小が違ってくるということ。立派な人物に従えば高められるし、愚劣な者に従えば自分もいっそう愚劣になる。原文=公都子曰、鈞是人也、或爲大人、或爲小人、何也。孟子曰、從其大體爲大人、從其小體爲小人。『史記』の平原君虞卿列伝に、「平原君は濁世の佳公子だが、まだ大体を見ない」とある。平原君は趙の公子で政治家。氏は趙、諱(いみな)は勝。武霊王の子、恵文王の弟。食客を集めて兄恵文王、続いて甥の孝成王を補佐した。戦国四君の一人。 人士を好み食客を数千人集めていた。画像は平原君。
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