1945年7月28日

1945年7月28日 昭和20年

【内 閣】

総理 鈴木貫太郎/外務 東郷茂徳/内務 安倍源基/大蔵 広瀬豊作/陸軍 阿南惟幾/海軍 米内光政/司法 松阪広政/文部 太田耕造/農商 石黒忠篤/軍需 豊田貞次郎/運輸 小日山直登/大東亜 東郷茂徳(外相兼任)/厚生 岡田忠彦/国務 桜井兵五郎/国務 左近司政三・国務(情報局総裁)・下村宏・安井藤治/内閣書記官長 迫水久常/法制局長官 村瀬直養

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 富永恭次/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 土肥原賢二

[海 軍]

海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武

【植民地高官】

朝鮮総督 阿部信行/台湾総督 安藤利吉/関東長官 山田乙三/樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎

【東京都長官】

西尾壽造

【首 長】

大阪府知事 新居善太郎/大阪市長 坂間棟治/京都府知事 三好重夫/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 熊谷憲一/青森県知事 金井元/岩手県知事 宮田為益/秋田県知事 久安博忠/宮城県知事 生悦住求馬/山形県知事  篠山千之/福島県知事 石井政一/茨城県知事 橋本政実 /栃木県知事 相馬敏夫/群馬県知事 高橋敏雄/千葉県知事  斎藤亮/埼玉県知事 福本柳一 /神奈川県知事 藤原孝夫/山梨県知事 谷川昇/新潟県知事 畠田昌福/富山県知事 岡本茂/石川県知事 平井章/福井県知事 宮田笑内/長野県知事 大坪保雄/静岡県知事  菊池盛登/愛知県知事 古井喜實/岐阜県知事 沖野悟/滋賀県知事 稲田周一/奈良県知事 小田成就/三重県知事 清水重夫/和歌山県知事 小林千秋/兵庫県知事 持永義夫/岡山県知事 小泉梧郎/広島県知事 高野源進/山口県知事 上田誠一/鳥取県知事 高橋庸弥/島根県知事 山田武雄/香川県知事 田中省吾/徳島県知事 岡田包義/愛媛県知事 土肥米之/高知県知事 栗原美能留/福岡県知事 山田俊介 /佐賀県知事 宮崎謙太/長崎県知事 永野若松/大分県知事 中村元治/宮崎県知事 安中忠雄 /熊本県知事 曽我梶松/鹿児島県知事 柘植文雄/沖縄県知事 (不在)


陸軍所属七生照道隊特攻出撃(東南アジア方面)。99軍偵3機未帰還。

鈴木貫太郎首相が、「ポツダム宣言」を黙殺し戦争を継続することを表明。

青森大空襲。B29・61機が青森市に空襲。死傷者1767人。

1945年7月14日~15日、アメリカ海軍艦載機の空襲により青函連絡船12隻が被害を受け(8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、352人死亡)、壊滅状態となった。この空襲に危機感を抱いた多くの青森市民が郊外の山中や田園地帯に避難・疎開したが、青森市は市民が空襲を恐れて避難・疎開することにより空襲下での市民の消火活動の停滞や戦意低下に繋がることを恐れた。7月18日、金井元彦青森県知事は「家をからつぽにして逃げたり、山中に小屋を建てて出てこないというものがあるそうだが 防空法によつて処罰出来るのであるから断乎たる処置をとる」と新聞を通じて警告を発した。青森市も、この命令を徹底するため、一家全員で避難して家が無人になっている場合は、7月28日までに帰らなければ、 食糧や物資の配給を停止すると新聞を通じて発表した。これにより、配給を止められると死活問題となるため多くの市民が帰宅せざるを得なくなった。7月27日深夜、B29爆撃機が青森市上空に飛来し、照明弾とともに6万枚程のビラを撒いた。これは市民の戦意低下を狙った作戦であったが、ビラには数日の内に、青森市を含む11の都市のうち4~5つの都市に対して爆撃を行うので、避難するようにと書かれていた。しかし憲兵隊、警察によって読むことを禁止され、さらに回収されたため、このビラの「警告」は一部の市民を除き伝わっていなかった。7月28日21時15分、青森県地区に警戒警報が発令された。それから間もない22時10分に空襲警報が発令され、この頃に前進基地の硫黄島を離陸したB29は、仙台湾から男鹿半島へ抜け、鰺ヶ沢町附近から青森市に向った。 そして暗闇に包まれた青森市に現れた62機(内1機は投下失敗)のB29は、照明弾で市内を照らしたのち、22時37分、焼夷弾の投下を始め、23時48分まで続いた。M74六角焼夷弾38本を束ねた2186発のE48焼夷集束弾が投下され、83000本もの焼夷弾が降り注いだ。青森市立橋本小学校付近に居た人たちは一気に浦町駅(現在の平和公園)の方向へ逃げていった。B29は爆撃が終わると、基地のあるテニアン島へ帰還した。7月29日0時22分に空襲警報が解除された。死傷者は1767名にのぼり、焼失家屋18045戸(市街地の88%)、罹災者70166名を出した(諸説有り)。M74焼夷弾は従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾で、青森市がその実験場となった(米国戦略爆撃調査団は「M74は青森のような可燃性の都市に使用された場合有効な兵器である」と結論している)。焼夷弾攻撃に対して、青森市民はバケツリレーをはじめとする消火活動を行ったが、M74焼夷弾に用いられた黄燐は空気に触れると発火する性質を持っており、また、水をかけても飛散してしまうため効果は無かった。ただ、仮に従来型のものであっても大量に投下されているので、他都市での空襲下における消火活動でも報告されているように消火の効果はほとんど無かったと思われる。急造の防空壕も全く役に立たず、防空壕での死者も多かった。消火活動が困難を極めたため避難を始めた市民もいたが、軍に消火活動に戻るよう指示される事例が見られた。

エンパイアステートビルにB-25爆撃機が激突。乗員3人は死亡。火災によりビル内でも約40人が死傷。

米軍艦載機による呉軍港空襲により戦艦「榛名」「伊勢」、重巡「青葉」「利根」、軽巡「大淀」が大破着底。終戦後に解体。


[第21爆撃機集団任務要約]

任務番号第297号

 日時 1945年7月28-29日

 目標 津都市地域

 参加部隊 第58爆撃団

 出撃機数 78機

 第一目標爆撃機数 97.43%(76機)

 投下弾種類

 設定 E48 500ポンド焼夷集束弾

 目標上空5000フィートで散開設定

 投下弾トン数 729.8トン

 第一目標投弾時刻 28日23時47分-29日0時56分

 攻撃高度 11000-11600フィート

 目標上空天候 雲量8-10

 損失機数 0

 任務要約 乗員は良から優の結果を報じた。偵察写真は市の57%が破壊されたことを示し、市の総被害はこの日までに71.1%に達した。重口径、中口径、小口径の高射砲は貧弱で不正確だった。目撃された敵機2機は攻撃してこなかった。2機は爆撃失敗。51機は目視で、25機がレーダーで爆撃した。12機が誘導先発機に、さらに2機がウインドラン機として行動した。この任務では宣伝ビラが使用された。 B-29 7機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:19979ポンド

 平均燃料残量:686ガロン

任務番号第298号

 日時 1945年7月28-29日

 目標 青森都市地域

 参加部隊 第58爆撃団

 出撃機数 65機

 第一目標爆撃機数 94.8%(第一目標61機、臨機目標3機)

 投下弾種類

 設定 E48 500ポンド焼夷集束弾

 目標上空5000フィートで散開設定

 投下弾トン数 第一目標に546.5トン、臨機目標に27.5トン

 第一目標投弾時刻 28日22時37分-28日23時48分

 攻撃高度 14100-14700フィート

 目標上空天候 雲量0-9

 損失機数 0

 任務要約 目標地域北東に設けられたMPI周辺に火災を観測、結果は優秀と報告された。煙は上空20000フィートまで上がった。この任務で各機は硫黄島を前進基地とした。少数の不正確な重口径高射砲弾の炸裂が目標上空で観測された。敵機11機が目撃されたが攻撃してこなかった。37機が目視で、24機がレーダーで爆撃した。1機が爆撃失敗。12機が誘導先発隊機として利用された。この任務でビラが使用された。ウインドラン機2機が出撃。7機のB29が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:18498ポンド

 平均燃料残量:667ガロン

任務番号第299号

 日時 1945年7月28-29日

 目標 一宮都市産業地域

 参加部隊 第73爆撃団

 出撃機数 127機

 第一目標爆撃機数 96.20%(第一目標122機 臨機目標2機)

 投下弾種類

 設定 E46、M17 500ポンド焼夷集束弾

 目標上空5000フィートで散開設定

 M47 100ポンド焼夷爆弾

 即発頭部信管着き

 投下弾トン数 第一目標:868.8トン

 臨機目標16.7トン

 第一目標投弾時刻 28日22時56分-29日0時48分

 攻撃高度 13500-16700フィート

 目標上空天候 雲量4-8

 損失機数 0

 任務要約 爆撃初期の写真は市の中心の多くの大火災を示していた。26機が目視で、96機がレーダーで爆撃した。3機は爆撃失敗。敵機14機が確認され、14回の攻撃を実施、4機のB-29を損傷させた。戦果はなし。高射砲は重口径で、貧弱かつ不正確、集中から連続的に撃ち上げた。約20基のサーチライトが見られた。B-29 7機が硫黄島に着陸。

 平均爆弾搭載量:14833ポンド

 平均燃料残量:758ガロン

任務番号第300号

 日時 1945年7月28-29日

 目標 宇治山田都市地域

 参加部隊 第313爆撃団

 出撃機数 99機

 第一目標爆撃機数 92.92%(第一目標93機 臨機目標1機)

 投下弾種類

 設定 E46 500ポンド焼夷集束弾

 目標上空5000フィートで散開設定

 投下弾トン数 第一目標:734.6トン

 臨機目標7.8トン

 第一目標投弾時刻 29日1時15分-29日2時24分

 攻撃高度 12000-13800フィート

 目標上空天候 雲量0-5

 損失機数 0

 任務要約 乗員は優秀な結果を観測しなかった。火災は120マイル離れても視認できた。その後の偵察は住宅密集地の39%が破壊されたことを示した。35機が目視で、58機がレーダーで爆撃した。目標地域での灯火管制は完璧だったが、宣伝ビラにリストされていなかったいくつかの都市では、灯火管制は行われていなかった。高射砲は重口径と中口径で、貧弱から並、一般に不正確と報じられた。1基の大きな自動火器の砲火が報じられている。少数の黄燐爆弾と火の玉は非効果的だった。1機のウインドラン機が飛行した。9機のB-29が硫黄島に着陸。

 平均爆弾搭載量:16906ポンド

 平均燃料残量:774ガロン

任務番号第301号

 日時 1945年7月28-29日

 目標 大垣都市地域

 参加部隊 第314爆撃団

 出撃機数 96機

 第一目標爆撃機数 93.54%(90機)

 投下弾種類

 設定 E46、M17A1 500ポンド焼夷集束弾

 目標上空5000フィートで散開設定

 M47A2 100ポンド焼夷爆弾

 即発信管装着

 投下弾トン数 658.7トン

 第一目標投弾時刻 29日0時52分-2時50分

攻撃高度 14000-16400フィート

  目標上空天候 雲量2-5

 損失機数 0

 任務要約 乗員は優秀な結果を観測しなかった。写真偵察は市の38%が破壊されてしまったことを示した。6機は爆撃失敗。ターゲットは61機が目視でき、31機が目視できなかった。現認された敵機28機が21回の攻撃を実施、B-29 2機に損傷を与えた。高射砲は重口径で、貧弱かつ不正確、また貧弱から正確と報じられた。12から35基のサーチライトはあまり効果的でなかった。1機のウインドラン機と1機の放送機が飛行した。B-29 10機が硫黄島に着陸。

 平均爆弾搭載量:14977ポンド

 平均燃料残量:594ガロン

任務番号第302号

 日時 1945年7月28-29日

 目標 宇和島都市地域

 参加部隊 第314爆撃団

 出撃機数 32機

 第一目標爆撃機数 90.62%(29機)

 投下弾種類

 設定 E46 500ポンド焼夷集束弾

 目標上空5000フィートで散開設定

 M47A2 100ポンド焼夷爆弾

 即発信管装着

 投下弾トン数 205.3トン

 第一目標投弾時刻 29日0時16分-1時25分

 攻撃高度 10400-11230フィート

  目標上空天候 雲量4-6

 損失機数 0

 任務要約 偵察写真は市の39%が破壊されたことを示し、総被害は52%に達した。敵機の抵抗はなく、自動火器による砲火は貧弱かつ不正確だった。全機レーダー爆撃。ウインドラン機1機が参加した。B-29 2機が硫黄島に着陸。

 平均爆弾搭載量:14960ポンド

 平均燃料残量:725ガロン

 3機が投弾しなかった。

任務番号第303号

 日時 1945年7月28-29日

 目標 下津製油所 (XXI 5046)  

 参加部隊 第315爆撃団

 出撃機数 82機

 第一目標爆撃機数 92.68%(第一目標76機 臨機目標1機)

 投下弾種類

 設定 AN-M64 500ポンド通常弾

 頭部1/10秒遅動、尾部非遅動

 投下弾トン数 第一目標:658.3トン

 臨機目標:16.7トン

 第一目標投弾時刻 28日22時02分-29日0時23分

 攻撃高度 10100-12000フィート

  目標上空天候 雲量4-10

 損失機数 0

 任務要約 爆撃結果は観測されなかった。全機レーダー爆撃。5機が爆撃失敗。敵機12きが目撃されたが攻撃してこなかった。高射砲は重口径、貧弱で、不正確から正確。B-29 1機が高射砲により損傷した。2機のウインドラン機が参加。第一目標を爆撃した2機も臨機目標を爆撃した。B-29 2機が硫黄島に着陸。

 平均爆弾搭載量:18375ポンド 

 平均燃料残量:1145ガロン

 3機が投弾しなかった。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。