政談227

【荻生徂徠『政談』】227

 ●道奉行・新地奉行の事

 道奉行・新地奉行・廻役などという役も無用の役である。これらの起こりは、何かの役に就けるほどの器量がなく、しかしなにかそれらしい役をつけたいと思う人に対して、老中が考え出したものである。廻役も、長く番方を勤めた人について、後輩が先に出世してしまうと、若い新参者と同じ番勤めをするのを無念に思うことから、しばらく廻役に就かせて、新参者と同列の仕事をさせないように創設したものである。雇用されない人がないようにという考えから老中がこのような役を作ったのは、その当時においてはよい考えではあろうが、しかし無用なことである。このように無用な役があるため、御先手(おさきて)なども世間からは隠居のように思われ、勤めがなくなってしまうのである。軽い役人の中には、このような役も多いことだろう。新地奉行なども同じく意味のない役である。その任務は代官・寺社奉行で間に合う。このようにいろいろな役があり、任務が重複しているために、余計な出費がかさむのである。


[語釈]●道奉行 江戸府内の道を管理する奉行。当初は定員4名、吉宗の享保5年、本書が執筆される直前に2名に半減されている。 ●新地奉行 屋敷改(やしきあらため)とも。江戸の空地や武家・寺社・庶民の新築建造物の検査・取締を担当。書院番・小姓組の番士から随時選ばれた(兼務)。 ●廻役 江戸市街を昼夜巡行・警備した。大番・書院番・小姓組から随時選ばれた。以上の3職は徂徠が言うように役職に就いていない旗本に花を持たせてやるためのもので、本来ならその地を治める代官や寺社奉行らの職掌に含まれているものを形ばかり分け与える閑職である。 ●御先手 巻一既出。将軍が外出する際に警護する役で、御持筒とともに同行する。徂徠は巻一で両役を一つに整理統合させるべきと主張し、ここでもそれを踏まえている。なお、火付盗賊改は先手組の一部が兼帯した。


[解説]ここでは無駄な役、冗員について述べている。江戸時代は武士は武士として家と名誉のために完全終身雇用で、親から子、子から孫へと相続が保証されていた。問題を起こせば身分が剥奪されたり家が取り潰されて過酷ではあったが、それだけに、いかにそつなく毎日を過ごすかといった消極的な態度が上から下まで共通した意識となった。これが江戸時代の発展を遅らせた原因であることは確かだが、このおかげで泰平が長く続いたともいえる。身分も職も固定化すると、役のない者は負い目を感じるようになるし、俸禄も固定されているため、暮らし向きがよくならない。そのため、ほとんど名目的な役を与え、仕事も警備とか巡回といった軽いものをさせることで、幕臣としての体面を維持させた。同じことは各藩でも行われた。しかし、役を与えるとその間は俸禄を加算してやるため、財政を圧迫する。徂徠はここを突いて、無用な役や冗員は切り捨てるよう求めている。当時にあっては、このような口出し自体が許されないことで、綱吉公以来幕府で学問や政治に対する考えを求めた人であり、無礼千万と処罰することはできないものの、吉宗が徂徠の幕府思いの進言の多くを無視するしかなかったのも、吉宗の限界と言える。


過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。