【諸乗法数】1-12

【諸乗法数】1-12 


一字 『獅子吼經』に「法唯一字、所謂無字」と。 

註 一字は無の事。『獅子吼經』は『阿含經』の一部。 

疏 『阿含經』(あごんきょう)は最も古い仏教経典集(スートラ)で、釈迦の言葉を色濃く反映した真正な仏教の経典とされる。 阿含(あごん)とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味。仏教は東南アジア諸国に広まった上座部と、中国、朝鮮、日本へと伝播した大乗とがあるが、『阿含經』は東南アジアで尊ばれたのに対し、大乗を信奉した地域では釈迦の教えを哲学的に解釈、発展させながら各宗派が誕生した経緯もあり、上座部を見くだして「小乗」といい、『阿含經』も軽視して殆ど相手にしない状態が長く続いた。『阿含經』は孔子の言行録である『論語』に似ていて、深遠な教えは説かれておらず、釈尊は極めて平易な言葉で持論を述べたり弟子たちに教えている。生の釈迦に触れることができる貴重な書だが、現在、釈迦の教えとされ信奉されている教義といったものは無いため、難解なものをありがたがる修行者たちは捨てて顧みなかった。しかし、大乗仏教が哲学にまでなったのは、道教や儒教の宋学などを貪欲なまでに吸収したからで、本来の仏教にはないはずの神々まで信仰の対象となっただけでなく、どの神はどの仏の化身である、といったことまで言われるようになり、今ではそれも信じるようになっている。明治以降、先進的な仏教学者や、学者肌の僧侶たちが原始仏教を再認識するようになり、その中で『阿含經』ことが釈迦本来の姿や教えが記録されていることを認め、以後、大乗の修行者であっても『阿含經』も尊重し、一読すべきものとしていわば名誉回復された形となっている。「小乗」という呼称は戦後まで続いたが、これも一種の蔑称であるということから、上述のように「上座部」と改めるようになった。教科書でさえ「小乗」が「大乗」の対義語のごとく使われていた。 

※ 冢堀庵先生の「註」を補う形で私(大森)が註の註である「疏」を適宜添えさせて頂く事にしました。なにぶん全くの素人のため、専門的な事に立ち入ることはせず、ごく基本的な注解と、あとは感じた事などを加えたいと存じます。 


一香 『四念處經』に「一色一香、無非中道(中道に非ざるは無し)。と 

註 鼻で嗅ぐもの目に見る物等この世の全ては眞理を含んでいるとの意。『四念處經』は『阿含經』の一部。摩訶止觀に引用されて著名となった。四念とは瞑想を妨げる四つの念い。身念處(体は不浄)・受念處(心は苦しみ)・心念處(心は無常)・法念處(全ては無我) 。   

過去の出来事

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