【諸乗法数】1-11
【諸乗法数】1-11
一性 『華嚴經』に云う「皆同一性、所謂無性」と。
註 如來出現品の一句。性とは物事の本質の事。
一修 『華嚴經』に「圓教一修、一切修」と。
註 『華嚴經隨疏演義抄』(唐の澄觀撰)に據ると、元々素質を具備している人は一つを修めたのみで全ての教えを修める事が出來るとする。
疏 いわゆる「一を聞いて十を知る」と同じ。しかし、一つの事を聞いたり修めたりしただけで、あとは自分の勝手な思い込みや決めつけをしていたのでは「百害あって一利なし」となる。元々素質を具備しているのは如来だけで、菩薩でさえたゆまない修行を続けてようやく如来となることができる。ましてや凡夫の場合は、発心して修行者となっても、一を修め得ても二、三を理解し会得するのは一生の事である。
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