佛像圖彙467
【467】玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)
[通釈]
大般若守護十六善神(大般若経とそれを奉ずる者を守護する十六の善神)
唐の貞観年中、二十七歳の時に天竺に渡り、十七年の間天竺諸国を巡り修行し、東土(唐土)に帰り大般若経を始めとして六百五十七部の経典を漢語に翻訳された。
下の画像は大般若経と転読の様子(三重県、常福寺)
[解説]
これより実在の高僧が登場する。存在の不確かな人、想像上の人も混じっているが後半になるとすべて実在の開祖、高僧、名僧が続く。
まず、大般若経は般若思想の集大成ともいえる経典。全六百巻と膨大な物のため、法会では転読(てんどく)と称してまず巻首を読み上げ、続いて経巻を勢い良く広げる。この時起こる風に触れると功徳があるとも。密教及び禅宗で行われる事が多い。
西遊記でおなじみの玄奘三蔵の登場。この玄奘三蔵とは名前ではない。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(ちんい)。諡(おくりな)は大遍覚(だいへんがく)で、尊称は法師、三蔵など。 三蔵とは「三蔵に精通した人」の意で、大変に名誉な尊称である。本来の意味は、仏教における経蔵・律蔵・論蔵の3つのことで、仏教の典籍を総称したもの。このすべてに精通するのは至難の業であり、ただ経典が読めて意味がわかるというだけではなく、その真髄まで理解できなければならない。
経蔵とは、釈迦が説かれたお経のこと。お経の数は分かっているだけで七千巻以上ある。
律蔵とは、釈迦が決められた戒律。
論蔵とは、お経の内容を後世になってからインドの仏教の学者が解説されたもの。
玄奘は鳩摩羅什(くまらじゅう)と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。629年にシルクロード陸路でインドに向かい、ナーランダ僧院などへ巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。
玄奘三蔵像
(東京国立博物館蔵 鎌倉時代 重文)
日本人僧の中で唯一「三蔵」の称号を与えられたのが、近江出身の興福寺僧・霊仙。霊仙は804年(日本の延暦23年、唐の貞元20年)、最澄や空海と同じ遣唐使の一行として唐に渡った。長安で仏典の訳経に従事し、その功績を認められ憲宗皇帝より「三蔵」の称号を賜っている。霊仙が関わった『大乗本生心地観経』は石山寺に現存。
このように、三蔵法師というのは複数おり、玄奘だけが三蔵ではない。西遊記により突出して有名になったが、仏教界では鳩摩羅什三蔵も玄奘以上に重要かつ功績のある高僧である。
以前、あるお寺のご住職が自身の動画で視聴者からの質問に答えて、三蔵法師とは玄奘のことであるとされた。つまり、三蔵は一人しか存在しないと説明したわけである。しかし、次の動画で謝罪をされ、三蔵は経・律・論に精通した立派な僧侶に授けられるもので複数存在し、日本にも一人いることを改めて説明された。指摘があって調べたらしい。自分の不明を恥じてすぐに謝罪したのはよかったが、今度は説明の中で、何度も「三国志に出て来る玄奘三蔵は」と言われた。五・六回、同じことを繰り返されたが、住持を務めるほどの方、お弟子さんたちの面倒を見られる方であれば、三蔵法師ぐらいは基本中の基本であり、動画チャンネルを開設して毎日法話まで述べられるのならば、押さえておくべき事はきちんと押さえておいて欲しいものだと思った次第。
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