佛像圖彙391
【391】獞(とう)
[通釈]
三十三 獞
[解説]
けもの偏に童。「いぬ」という訓がつけられているが、どのような動物かは不詳。渡会神道の三十六禽や、舞鶴の松尾寺の星曼荼羅には見えない。本書の絵はねずみ或いはキツネのように描いてある。
[摂津名所図会より]63 御館祠(みたちのやしろ) 大阪市生野区勝山北
今は、岡村の生土神(うぶすながみ)とする。土地の人はいばら神とよぶ。仁徳帝の的殿の旧蹟であるという。
※仁徳天皇の的場跡に建てた旧岡村の産土神。いばらの神と呼ばれた。
[雑記]
元首相銃撃事件はさまざまな問題を起こしている某宗教団体へと飛び火した状況となっています。まだ事の真相がわからない段階であれこれ論じることは控えますが、ここにきて宗教そのものに対する疑念、わだかまりを持つ人たちが声を上げ始めたようです。
一例として、著名漫画家さんのツイートから。
これは単に「宗教」としてしまっていることから、予期していたように炎上しかかっています。 「カルト」「擬似宗教」などとすればまだしも、「宗教」としてしまうと、あらゆるものが対象となってしまう。倉田さんもカルトなど特定の組織を念頭においているようですが、ただ、宗教全般に対する懐疑もあるようで、こういう人が多いのではないかと思われます。
これは現代人に多い「葬式仏教」に対する蔑視。こういったことの懸念や反省は「百年後の仏教」の中でも多くの高僧や学者らが述べていたとおりです。
これは、宗教は智慧を示し授けることで、不安や迷いを少しでも軽くするものという正しい認識。カルトは現世利益をうたい、入信を強要する一方、脱会したり棄教すれば地獄に堕ちる、お前の親はサタンだ、などと恐怖心を植え付ける。これは宗教ではなく、邪教。明確に区別しなければならない。
10年の間に、私は父、そして母を亡くし、今まで無宗教だったものの、葬儀や法事などにより、仏教に直接触れることとなりました。3年前に母を亡くしてからはほぼ毎日、般若心経などを読経。
大学と大学院では古典を専攻し、今も研究は続けていますが、更に歴史ともかかわるため、宗教も避けて通れないことから、基本的なことは学んできました。特に、なぜ人々に受け入れられたのか、迫害されたのかといったことに興味があり、いつの世でも「宗教」を目の敵にする人や政権は存在するものです。
だから、今の状況も特に珍しいことではないし、多くの修行者の皆さんも日々のお勤めに励んでおられることと思います。
「宗教とはこういうものだ」「あなたの宗教観はまちがっている」「宗教などインチキだ」さまざまな声を受けながら、本物、正しいものだけが続いてゆく。そういうことだと思うのです。
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