佛像圖彙385 付・浄土双六(終)

【385】烏(からす) 


[通釈] 

廿七 烏 


[解説] 

 カラスは熊野の使者であるとして崇められている一方、世間では「カラスが鳴くと良くないことが起きる」といった俗信があり忌み嫌われている。古来より評価が分かれる生き物である。 


[浄土双六]40 極楽世界(上がり) 


 このすごろくの上がりです。但し、地獄も上がりで、そちらに行った人はここには来られません。

 極楽は阿弥陀仏の浄土。西方十万億土のかなたにあり、広大無辺にして諸事が円満具足し、苦患 (くげん) のない、この上なく安楽な世界。特に浄土教の理想とする仏の国で、念仏を唱えれば、阿弥陀仏の本願力によってこの浄土に往生するとされています。念仏さえ唱えれば何をしてもよいというわけではありませんが、多くの信徒を獲得するために、一部ではそのように説く人もいるようです。 

 『阿弥陀経』などでは、極楽はすべてが黄金で輝き満ちた世界と記述されています。これについては古来より特に宗教学者などが疑問を呈しており、すべての欲から解放された人たちが行く世界が金銀財宝で満たされているのはおかしいというごく当たり前の疑問です。 この疑問については、もともと極楽というのは古代インド人の考えによるもので、インドでは昔から厳しい身分序列があり、庶民にとっては上流世界があこがれであり、安楽な世界であるという考えから、ああいう豪華な宮殿に住みたい、なんの苦もない生活がしたいという切実な願いが、金ピカな極楽世界となった、というのが学問上の考え方となっています。生老病死の心配がない世界であれば、別に金や宝石がなくても、質素な建物と豊かな自然に囲まれた世界でもよいわけですが、生者の考えの限界というものかもしれません。 

 日本においては、このすごろくに限らず、信仰対象を遊戯に用いる例が多く存在します。ところが、信仰対象を遊戯に用いることは、タイなどの上座部仏教国では、仏に対する不敬行為だと捉えられることがあるそうです。日本では戒律が厳格ではなく、僧侶は在家の生活ができ、肉食妻帯が許され、兼業も可能である、といった寛容性によるものと考えられていますが、はたしてこれは遊戯のための遊戯なのか、それとも、遊戯の形式をとってまで仏の教えを広めたい、知りたいという積極的な欲求があるためなのか、この点はまだ専門家の間で結論には至っていません(学術論文があるほど)。 

 以上、拙い紹介で失礼致しました。 

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