佛像圖彙382 付・浄土双六

【382】㹨(ゆう) 


[通釈] 

廿四 㹨 雄のほう 


[注] 

 いたち。 


[浄土双六]37 来迎(らいごう) 


 絵は夫が亡くなり、妻が悲しんでいるところへ、極楽浄土からいわゆる「お迎え」が来たところ。浄土真宗では「らいこう」と発音。お迎えは阿弥陀仏、諸菩薩などいろいろで、宗派による違い、生前の故人の行いによりお迎えも異なります。真宗では浄土で阿弥陀仏が待っているとされています。

 下はツイッターより。「死ねば誰も仏様」は私たち俗人の間ではよく言われることで、たとえ悪人でも亡くなれば仏さまとなるのだから、死者を鞭打つようなことは控えるべき、ということもよく言われます。故人の悪行をあげつらい、あれこれ批判すべきではないということ。 しかし、仏教とて決してどんな人でも故人となれば成仏して極楽へ行けるとはしていないので、それはこの「浄土双六」でもわかるとおりです。仏道に帰依し、浄土教では念仏者となり、戒めを破らず、善根を積んだ人のみが仏となり極楽へ往生できる。 支持者として故人を美化したい気持ちは理解できるとしても、故人が悪行の限りを尽くしたのであれば、その報いを受けることになる。「葬式仏教」として故人はすべて成仏し仏さまとなられると喧伝してきたことも世間に誤解を与えた。これは以前紹介した「百年後の仏教」で多くの僧侶や学者らもすでに指摘したり懸念していたことで、最低限、生前に五戒を破ることがないように生きる努力、修行が必須。悪行の限りを尽くしても亡くなれば仏さま、ましてや重職をになった人なのだから、最大限の栄誉を授けて冥福を祈ろうというのは、逆に故人を利用した自分本位な行いであるとともに、五戒を無視する蛮行でありましょう。 

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