佛像圖彙372 付・浄土双六

【372】魚(うお) 


[通釈]

十四 魚 


[浄土双六]27 忠孝(ちゅうこう) 


 絵は「桜井の別れ」。『太平記』の名場面のひとつで、西国街道の桜井の駅で楠木正成(まさしげ)・正行父子が訣別する逸話。ここで別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなった。桜井の駅の別れ、桜井の訣別ともいう。戦前の国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた逸話であり、戦前教育を受けた人たちにとっては有名な話です。 ちなみに、よく出来た話ほど脚色や創作の部分が多くあるもので、この別れについても、当時の正行はすでに左衛門少尉の官職に就いており、年齢はすでに20歳前後だったという説が有力です。太平記をはじめ演劇、物語類では正行は10歳ぐらいの少年としており、上の絵もいたいけな子どもとして描かれています。子どものほうが涙をさそうからでしょうが、20歳程度であれば立派な偉丈夫であり(昔の人は総じて老成していた。実年齢に5割足した数が現代人と同じになるという換算の方式があり、20歳だと10歳加えて30歳となります)、涙をさそう別れの場面とはなかなかなり得ないですね。 

 忠孝も浄土へ行ける立派な行為、精神ということで双六に加えられていますが、「忠」と「孝」は元来、全く別の徳目。徳目といえば中国の儒者が説き、教えの根本をなすものとして大切にしたものですが、中でも「孝」はちょっと日本人には理解しきれないほど堅持されたもので、親への服従は絶対的なものでした。「孝経」という書物まであり、「身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり」は日本でも江戸時代から明治にかけては誰でも知っているほどの有名な言葉であり、理念です。我が身は父母から授けられたものだから、傷つけてはならない、というもの。ただ、これは今でいえばタトゥーを入れたりピアスの穴を開けたりするのは親不孝であるとよく説明されていますが、実は犯罪をおかして捕まるといった、名前や家名を傷つけるようなことはするな、という意味であるという説があり、むしろそのように理解したほうがよいでしょう。なんとなれば、中国では民族によっては耳飾りのために穴をあけるのは普通に行われていたし、例の纏足(てんそく)という奇習も身体の毀損という点では甚だしいことだからです。 

 我が国では「忠孝」と熟語で一体化させ、しかも親に対する孝行よりも主君、主人に対する忠義のほうが強く叫ばれ、「忠君愛国」という言葉までできて、明治以降は天皇や国家権力に対する忠誠が国民として絶対的なものであると教えられるようにまでなりました。家庭内にあっては親孝行、しかし、国民としては天皇を敬うという教え。この話はこれ以上深入りしませんが、上の絵でもわかるように、主君に対する忠義が説かれた昔においても、親に対する孝行は善行の基本であり、親孝行ができない者は主君への忠義立てもできないとされたものです。  

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