佛像圖彙367 付・浄土双六

【367】狐(きつね) 


 [通釈] 

九 狐 


[浄土双六]22 布施(ふせ) 


  六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)或いは十波羅蜜の筆頭。他者に財物等を与えること。但し『般若経』では見返りを期待しての布施は功徳か無いとする。 

 絵は役人が窮民にお助け米を配布しているところ。江戸時代は暗黒時代という人がいますが、なかなかどうして、大火や大地震、風水害などで人々が困窮すると、幕府や諸藩では備蓄米を無料で放出したり炊き出しをしたり、更には低利でお金を貸し付けたりして迅速な救済をしたものです。その背景には、窮民は絶望から自暴自棄となり、体制転覆をしでかす者が現われるから、それを予防するためだという説があります。具体的には江戸時代初期の由井正雪の乱(慶安事件)が念頭にあるというものです。 しかし、たとえ窮民たちが暴動を起こすのを予防するためという狙いがあったとしても、窮民を救いたいという人としての慈悲の心がなければこのような行為をしたかどうか。むしろ、困っている人たちを看過できないのが行政であるという自負心があったからこその行動だと思いたいですね。

 仏教における狭義の布施は、修行者たる僧侶に対して財物を与えること。今も東南アジアでは続いているそうですが、僧侶は早朝から托鉢に出て、人々が食べ物を僧侶に贈る。僧侶は頂いた食べ物をその日の食事として食べる。これが布施。また、「布施」という言葉が示すように、人々が僧侶に布を贈り(施し)、僧侶はその布を継ぎ合わせて衣を作り纏った。これが本来の袈裟(けさ)ですね。 僧侶に対して布や食物、金品を贈るのは、自分に変わって仏事をして下さる僧侶への御礼なので、お経を読んで供養をして下さればそれでお布施は完結したわけですが、凡俗というのは、ともすれば「ただ読み慣れたお経を上げるだけで数万円もお金をとるとはずるい」といったふうに考えてしまうもの。戒名や葬儀、あらゆることにお金がかかりますが、そのためにトラブルも多い。 「布施ない経に袈裟を落とす」という俗な格言があり、謝礼の金品が少ないと、僧侶がお経を読むとき袈裟を着けないことをいい、報酬の多寡によって仕事が雑になることをいうものですが、古来より一部の僧侶にそういうことをする人がいたのも確かです。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」もそう。 このため、「布施」の意味をよく理解してもらうように寺院側もよく説明する必要があるし、信仰心に関係なく葬儀や法事を形式的にする世の中における「布施」というものを一般人も理解するよう努めることが必要でしょう。

 「宗教は非課税でズルい」ということもよく言われますが、これも正確ではないわけで、僧侶も生活をしていく上でいろいろ出費がかさむ。住職であればお弟子たちの面倒も見なければならないし、お寺の維持管理もしなければならない。本堂を修繕するだけでも大変な金額で、それが無料でできるということはないので、すべて実費で払います。檀家衆や世話人、護持会などの寄附(布施)に頼るわけで、寄附行為に対しては免税されますが、そういう支えが満足に得られないお寺も増え、住職による持ち出しが増える。そういう現実を教えてくれるお寺のサイトや動画も増えてはいるものの、興味をもってそれを視聴する人がまだまだ少なく、コロナ禍がやや落ち着いてきたことから動画を終了したりメンバー限定にするといった動きもあり、啓蒙活動を惜しんではならないと思う次第です。  

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。