佛像圖彙336


【336】昴宿(ぼうしゅく) 


 [通釈] 

十八 昴宿 

通考に「昴は七星。天の耳である。西方を主る」と。 


[解説]

  昴宿は、和名すばるぼし。二十八宿の一つで、西方白虎七宿の第4宿。プレアデス星団(昴)を含む。距星はおうし座17番星。主体となる星官(星座)としての昴は、おうし座の17番、19番、21番、20番、23番、25番、27番の7つの星で構成される。占いでは「家具造り・造作等が吉」などとする。 『晋書』天文志によると、白衣の会(大葬)があると記されている。すばるの名は天照の身に付けた美須麻流の珠によるともいわれている。『倭名類聚抄』には既に見えている。『枕草子』にも記述がある。 


[摂津名所図会より]49 四天王寺続き 

西門 西表に阿弥陀・善導大師等の画像、東の方に釈尊ならびに十大弟子の画影を安置する。参詣人は香を薫じ水印を回す。 

『太子伝撰集抄』にいう、今年二月八日より、四天王寺西門にて御父帝用明天皇のおん為に、七日七夜の念仏をはじめ、十四日結願の日、功徳証明の為に、阿部臣(あべのおみ)を使者として信濃の善光寺如来へ四句文ならびに和歌を捧げたまう。その詞にいう。 

 名号称揚七日己   名号を称揚すること七日に已んぬ 

 斯此為報広大恩   斯れはこれ広大の恩を報いんが為なり

  仰願本師弥陀尊   仰ぎ願はくは本師弥陀尊

  助我済度常護念   我が済度を助けて常に護念したまへ      太 子

  日数へておこなふ法をしるべしてさきだつ人を西にみちびけ      同  

 つかへてしそのい忙しへを忘れずはわがなすわざにさはりあらすな   同 

如来もまた四句の文。二首の和歌をもって功徳を讃嘆したまう。 

 一念称揚無息事   一念称揚息む事無し

  何況七日大功徳   何に況んや七日大功徳をや

  吾待衆生心無間   吾衆生を待ちて心間無し

  汝能済度豈不護   汝能く済度せんこと豈に護らざらんや       善光寺如来 

一たびも御名をとなふる声きけば長き夢路もさめてこそゆけ        同 

『空海行状』にいう、弘法大師、天王寺西門において日想観を修したまう時、にわかに蒼海が雲につらなり、赤日が浪に映じて、迷悟一如の観、たちまちほがらかに目覚め、本初の源すみやかに開けて、五智の宝冠頭上にあらわれ、三密の頓証眼前に掲焉(けつえん・けちえん。はっきりするさま)たりしということだ。 

 『金葉集』  

 屏風の絵に、天王寺の西門にて法師の舟に乗りてにしざまにこぎはなれ行くかた書きたる所をよめる 

 あみだ仏ととなふる声をかぢにてやくるしき海をこぎはなもらん  源俊頼 

 『新勅撰和歌集』  

 天王寺の西門にてよみ侍りける 

 さはりたく入日を見てもおもふかなこれこそ西の門出なりけれ   郁芳門院安芸 

 『続後撰和歌集』  

 天王寺にまうでてよみ侍る 

 西を思ふ心ありてぞ津の国の難波あたりは見るペかりける     後京極  

同  

 かの寺に戒師はじめておくとてよみ侍りける 

今さらにたもとは玉となりならむ難波の寺の人わすれ貝       同 

 『山家集』  

 同行に侍りける上人月の頃天王寺にこもりたりと聞きていひつかはしける 

 いとどいかに西にかたぷく月影をつねよりもげに君したふらん   西行法師 

『拾遺愚草』  

 文治の頃殷富門院大輔、天王寺に十首の歌よみ侍りしに、月前念仏 

西をおもふ泪にそへて引く玉のひかりあらはす秋の夜のつき      定 家 

 同  

 於難波精舎即事(難波精舎に於て即事)

吹きはらへ心の塵もなにはがたきよきなぎさの法の浦風        同 

 家 集  

  九月二十日あまりの程天王寺へ参り侍りしに、伊賀入道為業がもとよりこもりて侍りけるが 

 君こずば誰に見せまし津の国の難波あたりの秋のけしきを      頼 政 

『夫木集』  

 日想観のこころを 

 海にいる難波の浦の夕日こそ西にさしけるひかりなりけれ     為 家 

『歌枕』

世をてらすちかひの海の入日こそ難波のみ津の寺と成りけれ    同 

『大木』

 世をすくふちかひの海の入日こそ難故の水をてらすなりけれ    慈 鎮 

『拾玉』   

 方便品諸法実相 

難波潟ふかき江よりぞ流れ出づるまことをしるは水ぐきの跡     同 

 津の国のあしげの駒にのりの跡は我が思ひいる道にぞありける   同 

津の回のあしの八重ぶき隙もなくとなへて過ぎよ南無あみだ仏   同 

法の水をけふかきそむる難波江に月かげさむし秋のあかつき    同 

西大門 戦後再建されてからは極楽門と呼ばれるようになった。大阪では四天王寺の西門は極楽浄土の東門に通じるという信仰があり、彼岸の中日には入り日を拝むために多くの人が集まった。世の中が殺伐とし始めた平安時代末期にはここから海に入ると極楽浄土に最も近いと信じられ、住吉の浜から入水する篤信者が多く出た。 

過去の出来事

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