佛像圖彙301
【301】諸天・北斗(ほくと)
[通釈]
北斗 梵字はター
論語には北辰といい、天文志には北極という。
大星宮宅、周囲は七百二十里。中星は四百八十里。小星は百二十里。
[注]
天文志 漢書・晋書(しんじょ)等正史に見られる。この文は晋書天文志。
[解説]
北斗は北斗七星。中国や日本、それぞれに神として崇める風習や宗教があり、複雑に影響したり習合したりして、一として定まることがない。中国では、特に道教で盛んに祀られている。
[摂津名所図会より]17
長宝寺(ちょうほうじ)
平野郷西脇町にあり。真言宗で王舎山と号す。女僧の寺である。本尊は十一面観音、春日の作。長(たけ)は二尺ばかり。
田村堂は田村将軍の像を安置する。長六寸ばかり。当寺は大同年中の草創で、本尊は坂上田村麿の守木尊である。開基の慈心太姉は田村将軍の息女、桓武帝の皇后、葛井(ふじい)親王の御母である。天臭が崩御なされた後、御錺(おかざり)を下され、弘法大師の宗意に基き当寺にあり。
塔頭(たっちゅう)は、阿弥陀院・勢至院・来迎院などがあって、これを守る所の寺中の比丘尼慶心坊が夢の中に不動明王が現われ、その導きで冥途に至り、閻魔王の証印を授かってから蘇生し、また嘉吉元年十一月十五日、本堂で青蜘蛛が掌中に入ったようなので、手のひらを開いて見ればたちまち舎利と化して光を放ったという。 またその翌年、千部の経読誦の時、ある客僧が来て、焔魔王の像を一日で作り、どこともなく消え去った。これより世に仏師堂というようになった。
以上、当寺の奇瑞の事どもを天王寺東僧坊政恵法印が書かたのを『よみがへり草紙』として今に流布している。
※大阪市平野区平野本町 高野山真言宗王舎山長生院。後醍醐天皇行在所跡。摂津国八十八ケ所第三十八番霊場。
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