政談52
【荻生徂徠『政談』】52
(承前) 特に武家の浪人というものは工商の腕もなく、親類らの力で世を送っているが、近年、武家の風俗が悪くなり、頼もしい心も消え失せ、ただ利殖の心ばかり強くなった。これも四巻めに述べるように、みな上(かみ)という気持ちから起こったもので、援助してくれる人もなく、生活に困窮して世間の悪風俗に惹かれて詐欺やかたりなど種々の悪事をするようになり、その上に病気になったり不幸が続くと、更に悪事に手を染めるようになる。そもそも侍は商売をしないものというのは、利倍の家業をしないということで、年老いた親などがいる者が生活に困って棒手振をしてその日の糧を得るといったことは浪人のすることだが、これは侍にとって悪いことではない。しかし、世間の目は外見ばかり見るためにこういう仕事もできず、外見や振る舞いを侍らしくしようとするあまり、いろいろな詐欺やかたりをしてしまうようになる。
[注解]●利倍の家業 利息が利息を生む商売。
武士にとって商人はただ物を右から左に移すだけで、労せずして儲ける者であり、農業や工業、漁業など重労働で汗をかかず、いい着物を着ておいしいものを食べ、あまつさえ武士の真似までするけしからぬ者、と決めつけた。「士農工商」は儒者による分類であり、幕府が決めた階級ではないものの、農工を商の上に置いた理由として、ことさら商人を低く見せることで自分たちとは違う卑しい者たちだ、ということを大多数の農工業に従事する庶民に知らしめたものです。しかし、証人は武家に出入りもすれば、幕府や藩の御用も務めるし、なによりも武士は消費者なのだから、商人がいなければ俸禄の米を現金に換え、お金で物を買うこともできない。しかも、財政が窮乏し、商人から多大な金を借りるようになると、商人に頭が上がらなくなる。商人たちは次第に武士の足元を見るようになり、しまいには借金が返せず破綻する大名まで出る始末。そうならないためには、武士も生活に困窮したらちょっとした仕事や内職をして、浪人のように糊口の足しにすることはいっこうにかまわない。そもそも、武士が商売をしてはならないというのは、高利貸のような利息目当ての虚業がいけないということで、一般的な実業はやってもよい。しかし、世間は武士が農民や町人同様のことをするとそれだけでとやかく言うから、それを気にして結局裏の仕事に走ってしまう。また、武士としての体面、意地から、粗末なものは着られない、粗末なものは食えぬと無理にお金をかける。そのために困窮しているのにますますお金が必要になり、悪事に手を染めるようになる。人目をことさら気にする日本人の気質は武士が最も強く、それが今に続いていると言われますが、この段はそれを鋭く突いています。浪人になっても手に職がないし、商人のまねなどできるか、という面子のこだわりがあるために、働こうとしない。中には農村に住み着いて、完全に農民となって耕作に精を出し、村人たちとも溶け込んで完全にそこの一員となった人も多いものの、地方そのものを嫌い、あくまで都市に居続ける者だと、なにもせずに飲み食いし、家賃にも困ると、金欲しさになんでもやるようになる。
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