佛像圖彙253
【253】気比明神(けひみょうじん)
[通釈]
気比明神 丹生権現の御娘である。また、高野明神の御妹、気比足姫尊(けひたるひめのみこと)である。これは笥飯宮(けひのみや)とも申し、去来沙別神(いざさわけのかみ)とも名づけられた。
[解説]
高野山四社明神、高野山の地主神の一柱。気比明神は丹生明神の娘とされているが、本来は越 前一宮である。
[雑記] 「百年後の仏教」
【31】柘植秋畝(柘植信秀[号・秋畝]は浄土真宗本願寺派築地常栄寺の僧侶であり、宗派改革を目指した組織「猶興会」及び同朋主義を理念とする信仰共同体「真宗同朋教会」の創立者でもある。最終的には大谷光瑞に法主引退を迫るなどして、1913年に僧籍を剥奪された)
「無限の時間に比すれば百年は一瞬時に過ぎぬが私の微小な想像力から考へれば、隨分長くて遠い問題であります。從てひきしめた痛切の感じがないと共に、想像も想像、實に眞の想像である。然し明治初年の廢佛時代から既に五十三年は過ぎた。此の半百年の佛敎の變遷移推を回顧すれば、これから百年先きの見當も、まんざら付かぬでもない。過去の五十年は殆ど創業時代であつた。これからの五十年はいくらか眞味の進歩があらう。それから先きの五十年だ、これが最も問題である、つまり見樣次第だが、或は再び過去の佛敎に戻りはせぬか、それとも更に一段の進歩があるか、先づなさそうに思ふ。ありとすれば、日本よりは外國に於て其れが見られるかも知れぬ、僧侶の參政權位は屹度得られるであらう、新しい佛敎などは斷じて起らない、不祥だが國家の前途も案じられる、それと共に佛敎の將來も、何れかと云へば先づ案じられる方である。」
柘植氏はなかなかの活動家だったようで、この回答が書かれた時は、すでに僧籍を剥奪、つまり破門されたあとということになります。それでも、このような人にも質問を寄せたのだから、一目置かれていたのでしょう。
明治初年の廃仏から53年、今までは創業の時代であり、これからの50年はいくらかの進歩はあろう、としたものの、更にその50年が問題で、進歩はなさそうだと悲観的。外国で進歩があり、国内では僧侶にも参政権が得られるだろうが、新しい仏教は断じて起こらないし、国家の前途も案じられる、とどこまでも悲観的です。次第に軍国主義へと向かう世の中であり、国家神道がますます強化される一方、仏教は保護されることもなく、弔いと墓守をしていればいいといった立場に置かれた。かつては歴代の天皇も仏教を信仰し、譲位後出家された方も多数、埋葬も京都のお寺にされるといった歴史もあったのに、明治になって完全に皇室から切り離され、神道の下に置かれる状況。これでは悲観的になるのも無理はないでしょう。
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