佛像圖彙251


【251】渡唐天神(ととうてんじん) 


 [通釈] 

渡唐天神 

菅神の霊、宋の徑山(きんざん)寺に至り無準和尚に参禅し法衣を授かり給わった図である。 


[解説] 

 渡唐天神は、菅原道眞の霊が唐土(説話の時代はすでに宋)に渡り禅の印可を受けたとの説話に基づく。南北朝期に成立した説話では、印可を受けて帰国し、博多に滞在中の圓爾(えんに・後に聖一国師の称号を賜る)の夢枕に天神が立ち、禅の事について質問した。圓爾は自分に聞くよりも師匠の無準師範に直接参禅した方が良いでしょうと答えた。天神は神通を発し唐へ渡り、無準師範に参禅し印可を得た。帰国した天神は再び圓爾の夢枕に立ち無事に印可を得た事を報告した。夢覚めてその時の姿を描いたのが渡唐天神の図である。その姿は中国の道士の着る道服を着て梅の枝を抱く形に描かれる。これは禅宗(殊に五山を中心とした臨済宗)が詩文を好んだ菅原道眞を取り込もうとした説話であろう。此の像は信仰よりも画題として世に好まれ多くの作が残っている(武田信玄公にも遺作有り)。


 [雑記]

 「百年後の仏教」の続きは次回に。ツイッターの尾崎行雄botで下のような文言が紹介されていました。


  世界の聖人たちはほぼ同時期にし、いずれも人としての在り方(知恵)を示された。釈迦やイエスの教えは宗教として大切に受け継がれ、孔子の教えは学問道徳として信奉されるという違いはあるものの、洋の東西を問わず、不安定な人の心を導くものとして共通している。

  しかし、聖人が亡くなると弟子や信者たちはたちまち四分五裂して互いに批判したり自分こそが正統であるとして譲らずいがみあう。他の宗派に対しては人ではないかのような見方さえするものがあったり、極端な原理主義に走る者が出たり。聖人の至言も、受け手によってこうも捉え方が違うのかと驚かされるばかりですが、聖人の中には、自分の死後必ずこういう事態になるだろうと予見した人もいたようで、それも含めて最期まで教化教導に努めたものの、やはり空しいものとなってしまった。憲政の神様、尾崎咢堂翁の嘆きもまた誰もが思うことですが、戦争を起す者や、自分さえよければ人々が困窮しようと知ったことではないという政治家、実業家たちこそ、本来は教化教導すべき対象なのではないでしょうか。    

過去の出来事

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