佛像圖彙223

【223】建部大明神(たけべだいみょうじん)

[通釈] 建部大明神 梵字はキリーク 二十六日 

江州滋賀の郡に鎮座。 本地は阿弥陀如来 


[解説]

  建部大明神は、正しくは建部大社。延喜式内名神大社に列し、近江国の一之宮として歴史と由緒をもつ古社。祭神は日本武尊。神仏習合により本地は阿弥陀如来とする。

  1160(永暦元)年、源頼朝が関東下向の途中、建部大社に立ち寄り、武神として信仰されていた祭神に本殿で前途を祈願したといわれ、武家政権の鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝の念願を叶えた逸話により武士らに厚い崇敬を集めた。 


 [雑記] 「百年後の仏教」

 【6】鷲尾順敬(わしおじゅんきょう 仏教史学者。曹洞宗大学林、その後身の駒澤大学、東洋大学にて教授。明治25年、境野黄洋、村上専精と協力して溯源窟を興し『仏教史林』を刊行)

 「佛敎界と云ふ語に包含せられて居る事實は極めて夥い、今日の寺院組織僧侶生活等は何等の意義がない、問題とすべきものでない、併し是等の事實如何が佛敎の存亡に關係するものと考へてはならぬ、佛敎は今後百年二百年で何等の變化するものでない。「長夜の甘睡」は寧ろ今日の僧侶の獨得の權利である、羨む者は何時にても寺院に入り得度するがよい。」

  (今の(=当時の))仏教界にはいろいろあるが、寺院組織や僧侶という人たちの暮らしに何ら問題はないし、この先も変化することはない。「長夜の甘睡」は辛く苦しい修行をする僧侶の権利であって、これを羨む者は出家得度して僧侶になるがよいとまで述べています。

  長夜の甘睡は長夜の眠り、長夜の闇(やみ)というのが一般的で、煩悩のため悟りを開くことができず、迷いの苦界を脱することができないこと。これが「今日(こんにち)の僧侶の独特の権利である」というのは意味がおかしいように思えますが(長夜の甘睡は俗人の状態)、苦界を脱しようとして菩薩行(ぼさつぎょう)に励むことによる充実した日々といった意味ではないかと考えられます。

  仏教は不変で揺るぎないものであると確信に満ちた回答が多いですが、やはりこれは信仰心を持つ人たちだからこそのものでしょう。そう断言できる根拠はと尋ねたところで、恐らく同じ答えが繰り返されるだけ。

  仏神が実在するか否かはさておき、仏の教えを伝えるのは人間。仏像や経本があっても、それを理解し、守り、伝えるのは人間。となれば、いつの時代にも篤く信仰し、その大切さを後代に伝える人がいなければならないわけで、理屈抜き、確信をもって伝えてゆく人の存在にかかっているといえるでしょう。  

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