佛像圖彙193

【193】八幡大明神(はちまんだいみょうじん)


[通釈]

八幡大明神 梵字はキリーク 十一日

城州鳩峯(はとのみね)に鎮座。(割註)本地は阿弥陀如来。

行教和尚(ぎょうきょうわじょう)が筑紫の宇佐に参籠の時にご託宣が下り、今の八幡山に勧請された。應神天皇の御霊である。


[注]

行教和尚 (生没年未詳)平安時代の大安寺の僧侶。父は山城守紀魚弼。仁和寺益信とは俗兄弟で、石清水八幡宮別当安宗の叔父にあたる。大安寺で法相・三論・密教を学び、また日本天台宗の祖最澄の師行表や、真言宗の宗叡に師事したともいう。

下図は行教律師坐像

 所在地 : 八幡市八幡西高坊

【時代等】平安

【文化財の種別】国指定重要文化財

【文化財の指定】大正12年8月4日

明治の神仏分離令による「廃仏毀釈」のうねりの中で焼却処分の憂き目にあうが、頭部に烏帽子を釘付けし、僧侶の像ではないとして、その難を逃れたという。その後、八幡宮の梅渓通治宮司の努力によって,行教律師が開山した神應寺に明治6年に安置されることになった。像は量感のある豊かな体部、神秘的で独特の表情で、行教没後まもなく作られた肖像として、その人柄をよく表現していると言われる。


[解説]

 八幡大明神は、通常は八幡大菩薩と呼び習わす。

 八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。 また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。(Wikipediaより引用)

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