1947年2月25日

1947年2月25日 昭和22年

【内 閣】

第1次吉田茂内閣

総理 吉田茂/外務 吉田茂(兼)/内務 大村清一/大蔵 石橋湛山/司法 木村篤太郎/文部 田中耕太郎/厚生 河合良成/農林 和田博雄/商工 星島二郎/運輸 平塚常次郎/無任所 植原悦二郎、一松定吉/内閣書記官長 林譲治/内閣副書記官長 周東英雄/法制局長官 入江俊郎/復員庁総裁 幣原喜重郎

【宮中主要官】

宮内大臣 松平慶民

【植民地高官】

樺太庁長官 大津敏男

【東京都長官】

西尾壽造

【首 長】

大阪府知事 大塚兼紀(代理、内務部長兼任)/大阪市長 (空位)/京都府知事 木村惇/京都市長 (空位)/北海道庁長官 田中敏文/青森県知事 大野連治/岩手県知事 引田重夫/秋田県知事 磯部巌/宮城県知事 渡辺男二郎/山形県知事 三浦義男/福島県知事 石原幹市郎/茨城県知事 友末洋治/栃木県知事 小川喜一/群馬県知事 北野重雄/千葉県知事 小野哲/埼玉県知事 関外余男/神奈川県知事 内山岩太郎/山梨県知事 吉江勝保/新潟県知事 佐藤基/富山県知事 田中啓一/石川県知事 郡祐一/福井県知事 小幡治和/長野県知事 物部薫郎/静岡県知事 小林武治/愛知県知事 早川三郎/岐阜県知事 桃井直美/滋賀県知事 柴野和喜夫/奈良県知事 野村万作/三重県知事 佐伯敏男/和歌山県知事 川上和吉/兵庫県知事 岸田幸雄/岡山県知事 豊島章太郎/広島県知事 楠瀬常猪/山口県知事 青柳一郎/鳥取県知事 吉田忠一/島根県知事 鈴木幹雄/香川県知事 増原恵吉/徳島県知事 床次徳二/愛媛県知事 青木重臣/高知県知事 西村直己/福岡県知事 西岡広吉/佐賀県知事 沖森源一/長崎県知事 杉山宗次郎/大分県知事 細田徳寿/宮崎県知事 安中忠雄/熊本県知事 永井浩/鹿児島県知事 重成格/沖縄県知事 志喜屋孝信

【国際連合】

事務総長 トリグブ・リー(初代)


八高線・高麗川[こまがわ]駅附近で列車が転覆。買い出しの乗客174人が死亡

八高線列車脱線転覆事故;7時50分八高線東飯能駅 - 高麗川駅間の20‰下り勾配で、超満員(屋根の上に乗客を乗せざるを得ないという異常ともいえる運転状態が常態化していた)の乗客を乗せた、八王子発高崎行き(C57形93号機牽引、客車5両編成)の下り普通3列車が、過速度により半径250mの曲線を曲がりきれずに後部4両が脱線し、築堤上から5.6m下の畑に転落。客車の木造車体が大破し、184名が死亡し495名が負傷するという大事故となった。死傷者の大部分は食料買出し目的の乗客だった。列車は超満員の乗客によって加重されたことにより、下り勾配で十分なブレーキが効かず、車両は事故の直前、左右に激しく揺れていた。184名という死者は1940年(昭和15)1月に発生した西成線列車脱線火災事故に次ぐものであり、負傷者とあわせた被害者数では当時最悪の鉄道事故だった。この事故で、事故車両が木造客車だったために被害が拡大したことからその脆弱性が問題視され、木造車の淘汰が決定したが、鋼製客車の新規製造のみによる置き換えはコスト的に困難だったため、木造客車の台車と台枠を再利用し、その上に鋼製車体を載せる鋼体化改造が実施されることになった。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。