元号「文化」の意味

 江戸時代の元号「文化」の出典です。「文化」という言葉はいまでは手垢にまみれているといった形容をしたくなるほど日常的に使われ、しかし、人類の向上のためになくてはならない重要な言葉となっています。これからも生き続けることでしょう。

 出典は「易経」。一般的には易占いで有名ですが、儒家のテキスト(経書)の筆頭に挙げられ、孔子が愛読して書物、当時は木片や竹片を束ねたものですが、その糸が三回切れるほどだったとか。

 宇宙の真理、というとご大層に聞こえますが、森羅万象すべて法則によって成り立ち、生々流転しているということを明らかにしたもの。易とは「かわる」という訓もあり、変易という熟語もありますが、なぜ変化するのか、どう変化するとどうなるのか、それを知るためのものです。

 「文化」は熟語ではなく、御覧のように原文から抽出して一つにしたものです。しかし、「令和」のように無理に一つにしたものとは違

い、ちゃんと意味をなすものとなっています。

 ちなみに、現在使われている「文化」という日本語は坪内逍遥による造語とされています。逍遥よりはるか前の元号の「文化」とは全く関係はないというわけです。


 さて、原文の意味ですが、「文」は外見を美しく飾ること。「あや」という訓がありますが、模様とか様子、状態ということで、天の状態をよく観察して時の変化を見極め、人の世の様子をよく観察してよい方向・状態に育成し改めるということです。つまり為政者の責務、矜持。

 元号は為政者が時を支配するものとされていますが、それだけに為政者がどういう姿勢で政治に臨むのか、どういう覚悟を持っているのかを示す必要がある。美しい花が咲くいい国にする、という誓いはまるで頭の中がお花畑のようで脱力させられる。もっと強く覚悟を示すものであるべきです。

 なお、『論語』に「文質彬彬」(ぶんしつひんぴん)という言葉があり、この「文」は易の「文」と全く同義です。「質」は内面が充実していること。外見も内面もしっかりした人であってこそ君子(為政者)といえるわけです。中身が酷いと人相も悪くなる実例は今、枚挙に暇がありませんね。

 「文化」という元号は光格天皇の御代の途中、干支が甲子(きのえね、こうし、かっし)となったため慣例により「甲子革令」(かっしかくれい)で改元しました。これは日本独自のもので、讖緯(しんい)説(これ自体は中国の思想)で、60年に一度の甲子(きのえね)の年は政治上の変革が起こるとされ、それを避けるために改元しました。つまり、出典を国書とこだわる以前に、我が国では奈良時代から独自の思想による改元が続いていたのです。これを潰したのも明治政府です。以上

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