斉諧俗談63
斉諧俗談 63
〇侏儒[いっすんぼうし]
日本書紀に言う、天智天皇の十年、常陸の国より十六歳の子が献上された。身の丈六寸しかなかったという。また近年の延宝年間に、一人の侏儒がいた。名を甫春[ほしゅん]という。年齢は三十ばかり。頭が肥大して大きく、ひげや声も年相応であった。ただ、手足は三、四歳の児のように短く、身の丈も二尺しかなかった。書が巧みで、八卦による吉凶占いが得意であったという。
五雑俎に言う、謝肇淛[しゃちょうせい]
〔割注〕五雑俎の作者。
が閩(びん)にいた時、一人の人物を見た。年は三十ばかり、顔は常人と変わらなかったが、首から下は生まれて数か月の嬰児のようで、弱々しくて立って歩くこともできなかった。剃髪して僧となり、竹籠の中に座り、人がこれを担いだ。木魚を敲きながら読経する姿が立派だったが、その光景は奇怪であったという。
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