マンガ専門店・コミック高岡閉店のこと

マンガ専門店・コミック高岡閉店のこと

東隅書生  

東京・神保町の老舗マンガ専門店・コミック高岡が、三月三十一日に閉店することが明らかになった。一〇〇年以上続いた歴史に幕を下ろす。同店の関係者によると、コミック高岡は、「高岡書店」として明治二〇年代後半に開店し、一九七〇年代ごろにマンガを主に取り扱うようになったという。東京メトロ、都営地下鉄・神保町駅から徒歩約一分の好立地で、マニアックな品ぞろえで人気を集めた。関係者は閉店の理由を「出版不況、電子書籍の浸透の影響もあり、五年ほど前から経営が厳しくなっていた」と説明している。

つまり、紙の本が売れないのである。紙で読まない世代が増えれば、紙の冊子で作る意味がなくなってしまう。紙の冊子が忘れられてしまう時代が来るのだろうか。今はまだ電子書籍が登場する以前に作られた冊子体の書物が古本屋の棚に並べられているので、存在そのものが無くなることは直近の世の中では起こらぬことと思えるが、そう遠くない未来には紙の冊子体の本が視界から消えないという保障はない。

世の移り変わりは激しい。自己生存期間の僅かな間にそれが起こらないとしてもその後はどうか知れない。人の考えは経験に基づき、経験値は僅かな期間の事柄が基準であり、歴史基準でみれば一人の生命は一瞬に過ぎない。人が僅かな時間しか持たない現実に対して思考の糧として補足に利用するのは蓄積された経験や知識を知的成果物から摂取することによって学習し補完する。それはこれまで書物の体裁を取ってきたが、最近は電子媒体に移行してきている。

書物の体裁も時代とともに変化してきている。文字を獲得してから、毛筆によって書きはじめる。冊子に綴じて書物となし、後世へと伝えられるようになった。毛筆の文字を板に刻んで刷ることによって印刷物とし複製を複数作り出し、より伝わりやすくした。時には石に刻み、板に刻み、文字によって成果物を残そうとしてきた。書物は木版印刷から活版印刷に変化し、活版活字は電子フォント文字データへと遷移していく。毛筆時代は長かったが、既に廃れて、活字は百五十年程度使ったところで、字姿の変化には乏しいが電子フォントにいつのまにか移行してしまった。文字は紙の上から去りつつあり、液晶画面の中に目撃されるようになってしまった。今はまだ並列に存在しているが、紙は環境破壊に繋がるものと責められ、液晶画面推奨の動きが強い。木材パルプから紙といった分かりやすい短絡的な関係から森林資源の破壊は紙に責任があるように言うが、液晶画面を作る装置や工場や原料。液晶画面を動かすエネルギーなど全て含めて考えれば、却って紙が地球に優しいなんてことだって考えられる。

単純な比較は成り立たない。ただ経済効果の思惑としては大きな経済活動が望ましく、前近代的レベルの経済活動で成り立つ程度では発展を見込めない市場重視の思惑が背景にあるだろう。経済発展を第一とし、それを正当化する方便が働いていないと断言できるのか。甚だ疑わしい。効率の悪さも責められる。その手間を掛けたものが劣っているならば優れた方を取りたいと考えるのは欲求として自然だが、それに合致しているとも限らない。不効率でも昔ながらに丁寧な手作業に拠った伝統技法が優れた製品を生み出す事は、紙漉きの現場のみならず、多くの昔からの製品にも同様なことが言えるだろう。

非効率は必ずしも悪ではない。つまるところは価値観の問題なのである。(『東隅随筆』574号より著者了解のもと転載)

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