経典解題37
【経典解題】37
發覺淨心經
ほつがくじょうしんぎょう
隋の闍那崛多の訳。二巻。釋迦と弥勒の問答の形で、世俗の四種の過患と二十種の過失を挙げ精進の重要性を説く。
[冒頭の翻刻と訳文]
爾時,婆伽婆復於一時,游波羅奈城諸仙住處鹿野苑中,與大比丘眾足滿千人,復有五百諸菩薩眾。於其眾中,多有諸根未成熟者,有減少善根者,有諸業障者 時,彼處諸菩薩中,復有諸菩薩,樂多世事,樂於談話,樂於睡眠,樂於雜業,樂於戲論,樂於染著,種種文詞散亂之業不合禪行,於諸善事懶惰懈怠,破精進行忘失正念,無所能知常行亂行。
爾時,眾中有一菩薩摩訶薩,名曰彌勒,在彼會坐,知彼眾中諸菩薩等有如是行已,即作是念:「此諸菩薩減損道分,然我今者,應當發覺此菩薩等,令彼憶念發起道意。」
爾時,彌勒菩薩摩訶薩作是念已,於日晡時從禪定起,往詣諸諸菩薩所。到已與彼諸菩薩,共相慰喻為作歡喜,令彼樂欲求聞法故,因而告彼諸菩薩言:「長老汝等,頗於菩提分中不損減乎」
彌勒菩薩作是語已,彼諸菩薩語彌勒菩薩言:「長老彌勒,我等道分唯有損減,無有增長。何以故。然我等輩取住疑心,我等為當得作佛耶。不得佛耶。我等為當墮落法耶。不墮落耶。於諸善根為欲生耶。為不生耶。作於噁心,我等住取是相。」
当時、バガヴァンは再び、千人を数える大勢の比丘たちと五百人の菩薩たちを伴って、聖者たちが住んでいたバラナシの鹿園を訪れました。この集団の中には、まだ能力が成熟していない者、善根が衰えた者、さまざまな業の障害を抱えた者が多くいました。当時の菩薩の中には、多くの世俗的な事柄を楽しむ菩薩、おしゃべりを楽しむ菩薩、眠ることを楽しむ菩薩、雑事を楽しむ菩薩、無駄話を楽しむ菩薩、執着を楽しむ菩薩、瞑想に従わないさまざまな散漫で無秩序な活動に従事する菩薩、すべての善行において怠惰で怠慢な菩薩、精気と気づきを失った菩薩、自分が何をしているのか分からず、常に無秩序な行為をしている菩薩もいました。
その時、その場に弥勒菩薩という菩薩が座っていました。彼は、その場にいる菩薩たちがこのように振る舞っているのを見て、「これらの菩薩たちは道の歩みを妨げている。しかし、今こそこれらの菩薩たちを目覚めさせ、彼らに道への志を思い起こさせ、起こさせなければならない」と考えました。
その時、このように思いを巡らせた弥勒菩薩摩訶薩は、夕暮れ時に瞑想から覚め、菩薩たちのところへ行きました。到着すると、菩薩たちを慰め、共に喜び、法を聞くことを強く望み、こう仰せになりました。「長老たちよ、あなたたちの菩提の境地は衰えていませんか?」
弥勒菩薩がこのように説かれると、他の菩薩たちは彼に言いました。「弥勒大師よ、私たちの悟りへの道はますます狭まるばかりです。なぜでしょうか?私たちは疑いに執着しているからです。私たちは仏陀になれるだろうか?仏陀になれないだろうか?法に堕ちるだろうか?堕ちないだろうか?善根の発生を願うだろうか?善根は発生しないだろうか?私たちはこれらの邪念に執着しているのです。」
※図はこちら→ https://note.com/11111hiromorinn/n/ne536b52a7c36?app_launch=false
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