江戸時代の印について

江戸時代の印について

東隅書生  

 書幅であれば、まず引首印と落款印を捺す。ということは、その書き手の数だけ印が生産されたことになる。材は石に限らず木も使われて、殊に日本では印材に適した石の産出がほとんど無く、中国輸入の印材に頼るが、当然需要を賄えず、木印も多く使われる。石か木かの区別は印影からは計り難い。それほど印が使われたなら、遺印を見かけるかといえば、見るようになったのは最近で、それまでは個人の使用していた印が流通する事はまず起こらなかった。著名人の印であれば、それは家の宝として子孫が保存し伝えるものだが、売れると知れると手放す家も出てくる。大槻家の印の売り出しは象徴的な事件であった。また中国の印材産出が衰えて、古印材を彫り直す需要が起こっているのも事実だ。二三十年前の印材と現在のものとでは品質の差が大きい様子。昔の良いものは良いのである。現代の篆刻流行は密かに広がりがあって、印材需要が高まるが、生産が駄目なのである。中国以外の産地の印材も流通し始めているらしい。篆刻という言葉も市民権を得て、大人の趣味の一つに数えられるようになるのは良いが、印を作るうえで必要な知識や教養が広がるのはもう少し時間が必要だろう。篆書の中でも時代差などあり、あるいは字体も楷書とは異なるため、篆書知識が必要なのだが、篆書もどきで作られる印も横行していて、字体や書体について鈍くなっている現代人に、篆書の理解はなかなか容易ではない。毛筆も鉄筆もいささか遠い文化になってしまっているようだ。それでもWebを介して名印の鑑賞も容易になり、よい参考書も作られ、方向を間違えなければ、篆刻も親しみやすい世界として手の届くところまでに来ているともいえよう。

 印影の遺例から察しても江戸時代には相当数の印が生産されていたと考えられる。上出来も不出来もあるが、多いことに間違いは無い。筆も硯も墨も文字を手習う者であれば例外なく誰もが所有し使っていたのではなかったか。和刻本の印譜と呼ぶべき出版は部数が少なく、印を直接押す場合の出版部数は微々たる物で普及という面では実現しない程度の数だろう。しかし、印が多く用いられていた事は、序跋文に添えられた落款印の姿がそのまま版木に彫られて摺られている事例はよく目撃する。確かに使われていた印の数は相当にあったのだと察せられるのである。(『東隅随筆』565号より)

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