【諸乗法数】付9-5

【諸乗法数】付9-5

九流 

儒流・儒教 

道流・道教 

陰陽流・數術 

法流・律法 

名流・正名 

墨流・墨翟 

縱横流・筭法 

雜流・兼餘入也 

農流・播種


註 先秦の諸学派を漢代に分類したもの。諸子百家ともいう。流は家と記す事が多い。司馬遷の父の司馬談は六家に分け、班固は九流に分類した。更に小説家を加えて十家とし(漢書藝文志)、更に兵家を加えて十一家とする。

儒家は孔子を祖とする君子のための学派。仁義礼智信の徳目を信奉する。漢代には国教とされた。

道家は老子を祖とするが、中国独自の道教と結びついて学派よりも宗教の性格が強く今に至る。唐の時代、皇帝が老子と同じ李姓であったことから道教が重んぜられた(あくまで学問の主体は儒教)。

陰陽家は陰陽五行説に基づいた原始的な自然科学。騶衍(すうえん)が代表的思想家。

法家は鄭の子産に発し、商鞅(しょうおう)によって完成された法を以て国家を治めようとする。韓非子が代表。

名家は名は論理学のことだが、言葉と概念にとらわれすぎて詭弁に走ってしまっている。惠施と公孫龍が代表。

墨家は全ての人を愛し平等を説く兼愛を掲げ、一時は儒家をしのぐ勢力になったと伝えられるが、なぜか急速に衰退し、近世になって再び脚光を浴びるようになった。そのため研究が遅れており、まだ謎が多い。

縦横家は、春秋戦国時代に国家間の外交や政策について、合従(がっしょう)と連衡(れんこう)という二つの対立する外交戦略を提唱し、弁舌巧みな弁論と野望をもって各国君主を遊説した。合従策は蘇秦(そしん)が唱え、秦に対抗して六国が南北に同盟する策であり、連衡策は張儀(ちょうぎ)が唱え、秦と各国が個別に同盟する策を説いた。

農家は農業を以て国の根幹とすべく農事技術を研究した學派。許行が代表人物。

小説家は世間の故事を記し、これを政治に反映させようとした派。鬻熊(いくゆう)が代表的人物。

兵家は軍事。孫子(孫武・孫臏)・呉起が有名。我が国では江戸時代に兵法書としてよく読まれた。

漢代以降は儒道の隆盛に押され他の学派は滅んだも同然となったが、細々と伝わり、明(ミン)後期に多くの佚書が復元(さまざまな類書などに引用された物を集め)開板され、清代の考証學の興起に伴ない大いに研究されるようになった。さらに近代では中国哲学として重要視された。近年出土する古代文献も多く新たな知見も多い。山東臨沂銀雀山漢墓より出土した竹簡は「孫子」が二人いた事が実証され、また、偽書と呼ばれた尉繚子(うつりょうし)が実は漢代には既に存在していた事も明らかになった。

さらに、漢籍分類法として先秦以降の著作でも南北朝期の齊民要術(せいみんようじゅつ)は農家に、唐代の李衛公問対(りえいこうもんたい)は兵家になどとと生かされている。

※図はこちら→ https://note.com/11111hiromorinn/n/n9d1b35c374c4


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