【諸乗法数】付7-5

【諸乗法数】付7-5

七賢 

伯夷 

叔齊 

虞中 

夷逸 

朱張 

少連 

柳下惠


註 中国の賢人七名。

伯夷と叔斉(しゅくせい)は兄弟。孤竹国の王子。父王が兄を差し置いて弟の叔斉に王位を讓ろうとしたが、叔斉は兄を差し置いて王位を継ぐ事は出来ないと言って出奔した。伯夷は弟に譲られた王位を自分が継ぐことは出来ないとして同じく出奔した。やがて周の代になり、周王朝の麦を食す事を潔しとせず、首陽山で蕨を取って食べたが兄弟ともに遂に餓死した。

虞中は周の古公亶父(ここうたんぼ)の次男。古公亶父には太伯・虞仲・季歴の三子がいたが、季歴の誕生に奇瑞があったためにこれに王位を継がせようと思っていた。それを察した太伯と虞仲は南方の夷狄の地に出奔。そこで人々に慕われて夷の王(呉国)となった。

少連は東夷の賢人というが事績は殆ど不明。

柳下恵(りゅうかけい)は展氏。柳下邑に封地を持っていたために柳下を姓に。孔子より前の魯の賢人。孔子にも評価されているが、孟子は大いに尊重し「和聖」と称えた。

以上の七人は『論語』微子第十八に出ている。

七賢は別に隠者の竹林の七賢がある。

※図はこちら→ https://note.com/11111hiromorinn/n/ne2c5a00359a4


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