1946年2月12日
1946年2月12日 昭和21年
【内 閣】
幣原喜重郎改造内閣
総理 幣原喜重郎/外務 吉田茂/内務 三土忠造/大蔵 渋沢敬三/陸軍 下村定/第一復員 幣原喜重郎(兼)/海軍 米内光政/第二復員 幣原喜重郎(兼)/司法 岩田宙造/文部 安倍能成/厚生 芦田均/農林 副島千八/商工 小笠原三九郎/運輸 村上義一/無任所 小林一三(戦災復興院総裁)、次田大三郎/内閣書記官長 楢橋渡/法制局長官 石黒武重/内閣副書記官長 三好重夫
【宮中主要官】
内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 若松只一/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 下村定
[海 軍]
海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武
【植民地高官】
樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎
【東京都長官】
西尾壽造
【首 長】
大阪府知事 松井春生/大阪市長 中井光次/京都府知事 木村惇/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 留岡幸男/青森県知事 大野連治/岩手県知事 春彦一/秋田県知事 磯部巌/宮城県知事 千葉三郎/山形県知事 村山道雄/福島県知事 増田甲子七/茨城県知事 友末洋治/栃木県知事 小川喜一/群馬県知事 北野重雄/千葉県知事 小野哲/埼玉県知事 関外余男/神奈川県知事 内山岩太郎/山梨県知事 齋藤昇/新潟県知事 佐藤基/富山県知事 田中啓一/石川県知事 伊藤謹二/福井県知事 斎藤武雄/長野県知事 物部薫郎/静岡県知事 小林武治/愛知県知事 早川三郎/岐阜県知事 野村儀平/滋賀県知事 柴野和喜夫/奈良県知事 小野正一/三重県知事 佐伯敏男/和歌山県知事 金井正夫/兵庫県知事 岸田幸雄/岡山県知事 西岡広吉/広島県知事 楠瀬常猪/山口県知事 青柳一郎/鳥取県知事 林敬三/島根県知事 鈴木幹雄/香川県知事 竹内徳治/徳島県知事 岡田包義/愛媛県知事 豊島章太郎/高知県知事 吉富滋/福岡県知事 野田俊作/佐賀県知事 沖森源一/長崎県知事 杉山宗次郎/大分県知事 細田徳寿/宮崎県知事 安中忠雄/熊本県知事 永井浩/鹿児島県知事 龍野喜一郎/沖縄民政府・沖縄諮詢会委員長 志喜屋孝信
マッカーサー元帥が起草させた日本国憲法の草案(マッカーサー草案)が完成。13日に日本政府に手交。
マッカーサー草案は、1946年(昭和21年)2月12日、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)により作成された日本国憲法草案。起草にあたってアメリカ合衆国憲法ほか世界各国の憲法が参考にされたとされる。
2月3日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、憲法改正作業を日本政府に任せておいては、2月26日以降、マッカーサーを連合国軍最高司令官に任命(昭和20年8月15日)した極東委員会の国際世論(特にソ連、オーストラリア)から、天皇制の廃止を要求されるおそれがあるとして、総司令部が憲法草案を起草することを判断した。このとき日本の憲法改正に際して守るべき三原則(マッカーサー・ノート)を、憲法草案起草の責任者コートニー・ホイットニー民政局長に示した。
1.天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
2.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
3.日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。
この三原則を受け、総司令部民政局には、憲法草案作成のため、立法権、行政権などの分野ごとに、条文の起草を担当する8つの委員会と全体の監督と調整を担当する運営委員会が設置された。起草にあたったホイットニー局長以下25人のうち、ホイットニーを含む4人には弁護士経験があった。しかし、憲法学を専攻した者は一人もいなかったため、日本の民間憲法草案(特に憲法研究会の「憲法草案要綱」)や、アメリカ合衆国憲法ほか世界各国の憲法が参考にされた。民政局での昼夜を徹した作業により、各委員会の試案は、2月7日以降、次々と出来上がった。これらの試案をもとに、運営委員会との協議に付された上で原案が作成され、さらに修正の手が加えられた。2月10日、最終的に九十二箇条の草案にまとめられ、マッカーサーに提出された。マッカーサーは、一部修正を指示した上でこの草案を了承し、最終的な調整作業を経た上で、2月12日に草案は完成した。
マッカーサーの承認を経て、2月13日、「マッカーサー草案」(GHQ草案)が日本政府に提示された。日本政府は「マッカーサー草案」(GHQ草案)に基づき総司令部との折衝の下、4月17日、口語化と修正を加え、外国人の権利および「家庭は、人間社会の基礎であり、その伝統は、よきにつけ、悪しきにつけ、民族にしみこんでいる。」という文句などを削除し[1]、「憲法改正草案」を発表。6月8日、昭和天皇臨席の下、枢密院はこれを可決、また8月24日、衆議院において若干の修正を加え圧倒的多数で可決、10月6日、貴族院は、若干の修正を加え可決した。翌7日、衆議院は貴族院回付案を可決し、帝国議会における憲法改正手続はすべて終了した。
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