斉諧俗談16
斉諧俗談 16
〇一目連[いちもくれん]
伊勢、尾張、美濃、飛騨の四か国で、不意に暴風が吹き始め、大木を倒し岩を崩し、民家を壊すということがある。しかし、これは一筋の範囲で、その他の所には吹かない。これを一目連と名付け神風としている。そこで伊勢の国桑名郡多度山に一目連の祠を祀った。また相模の国にもこれに似た風が起こる。鎌風と名付けている。駿河の国にもあり、悪禅師[あくぜんじ]の風と呼んでいる。土地の言い伝えでは、この神の形は人の姿で、褐色[ちゃいろ]の袴を着けているという。
按ずるに、蝦夷(えぞ)松前で、十二月極寒の時節、晴天の折に暴風が吹くことがある。道行く人がこの風に遭うと、たちまち倒されてしまう。頭や顔、手足に必ず五、六寸ばかりの傷ができる。しかし、死ぬようなことはない。俗にこれを鎌閉太知[かまへたち]という。急いで大根の汁を傷に塗れば治るが、刀傷のような痕が残る。この事は津軽の地にもたまにあるという。これらは極寒のもたらす毒であり、一目連とは違う。いずれも悪気風である。
[語釈]●一目連 この説明に尽きるが、参考までにWikipediaから引いておく。「一目連(いちもくれん、ひとつめのむらじ)は多度大社(三重県桑名市多度町多度)別宮の一目連神社の祭神の天目一箇神と同一視されるが、本来は片目が潰れてしまった龍神であり、習合し同一視されるようになったという。一目連は天候(風)を司る神とされ、江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行なわれた。柳田國男は伊勢湾を航行する船乗りが多度山の様子から天候の変化を予測したことから生まれた信仰と考察している[2]が、養老山地の南端に位置する多度山は伊勢湾北部周辺の山としてはもっとも伊勢湾から近く、山にかかる霧などの様子から天候の変化の予測に適した山だったのであろう。」
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