『東隅随筆』について

『東隅随筆』について

東隅書生  

『東隅随筆』では江戸の毛筆筆記の時代を中心に毛筆文化資料と称して当時の文字資料を掲載している。

当時の文字は全部が毛筆由来であるため、全てが対象とも言える。直接毛筆で筆記されたものは当然ながら、刻まれた文字でもその元となった版下は毛筆で書かれたことに間違い無い。

勿論例外が無い訳ではない。指頭書と呼ばれる手の指で表現する書画技法がある。鉄筆は金属である。完全毛筆とは行かないが、現代と比較して文字を書く道具として今日ほど選択肢がある訳ではなく、基本は毛筆で文字を書く訳だ。

文字を書くには文字を知らなくてはならない。識字段階でも基本は毛筆だろう。勿論砂に木の枝で習うことも出来ようが、手習いといえば毛筆習字が当然の時代であった事は、現代人でも共有できる近世の筆記事情と思われる。

現代に伝存する近世とそれ以前の文字についてそのほとんどが毛筆に由来する文字であるという事は、今でも容易に検証が出来るからである。ただ、殊更そのことを言明せずに暗黙の了解事項として共有されていたと思われる。

しかし、現代に至るまでに、日用に毛筆を使う機会が減少し、中には毛筆など使ったことがない現代人も居るらしい。そうなると毛筆で文字を書くという経験の無い人々が毛筆文字を見て、あるいは読んで、毛筆文字を書いた時代の書き手と何処まで共感が起こり、何を思うかの前提として、何か欠落した読みになりはしないか、という疑問が起こる。

もちろん現代ならではの毛筆時代のものに対する読みがあってもかまわない。しかし、それが全部では汲み取れない毛筆時代の意識が残ってしまう危惧を感じないのか、という問題が起ころう。そこまでも了解して、かつ現代の読みを行うのと、知らぬままに現代の読みで済ませてしまうのでは、たとえ結果が同じに見えても、了解レベルが同じであるとは判じ難い。

では、毛筆で書かれた文字の理解について何が何処まで必要なのか、条件付けしようにも示されていないのが現状だろう。そこはこれまで暗黙共有であって、殊更言及をしてこなかった部分になる。

世の中を見回してこまで毛筆文化と乖離した状況を確認したとき、まさに現代においてこれまで通りの暗黙了解では通じないことになったという自覚が必要だろう。

毛筆の時代に何がどのように行われていたかは伝存物から直接観察可能なはずである。ただ、それをどの様に見るべきか、或いは読むべきかのガイドラインも事例も示されない。その環境改善が必要となろう。

身の回りに近世期の毛筆由来の文字は容易に探索可能である。ただ見過ごして生活しているだけなのだが、近世期の文字を書く代表者としての書家の肉筆を見る機会は必ずしも多いとは言えない。展観機会も少なく、集客も望めないので展観そのものも単独では行われない。

そこで『東隅随筆』は近世期の書家関連資料の掲載を行う。肉筆のみならず碑や和刻法帖も掲載する。最初は和刻法帖研究の材料記録であったが、和刻法帖の悲哀から毛筆環境の理解の問題を発見するに至り、摺り物も当然重要だが、肉筆もまた毛筆資料として欠かせないものであるは自明であった。何しろ『東隅随筆』は個人誌である。すぐに限界が来るが、それでも手の届く範囲、可能な中で近世の毛筆文化資料の掲載を続けてきている。

冒頭にただ経過地点の号数(570号)とは言ったが、ここまでの蓄積には時間を要しているのも事実である。(『東隅随筆』570号より著編者了承のもと転載)


※『東隅随筆』については検索すればいろいろ出てきます。現物は非売品で限定30部のため入手不可ですが、大切な部分などはできるだけ紹介、拡散してゆきたいと考えています。

参考→https://www.youtube.com/watch?v=hMMF8cfyNbQ

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