政談450

【荻生徂徠『政談』】450

(承前) さらにまた日本国中互いに面倒を見るという道理から、諸大名の家で学問が盛んになれば、在野の学者たちが仕官出来、よい学者が得られ、幕府の儒官も刺激されて自然に学問に精励するようになる。であるから、十万石以上の大名には、その在所に学校のようなものを建てるようにさせたい。およそ五百石ほどの費用で学校は建てられる。


[解説]今のように学力学歴が人生を左右する時代ではなく、学問はあくまで好きな者が自分のために究めた。このため、幕府の儒官(国立大の教授)よりも民間の学者(家を塾にして講義をする)のほうが優れていた人が多かった。名だる学者の多くが浪人を含めた庶民で、やがて幕府や大名に採用された人も少なくなかったし、生涯、民間の師匠として誇りを持って学問に励んだ人もいた。現在はどれだけ優れた知見があり、学力があっても、公職にあり、学位・研究者番号もあって、はじめて学者として認められるが、これは学問・学者の裾野を狭めており、公職にある研究者でも大学の雑務雑用に謀殺され、現政権がすぐに結果の出る研究だけを評価していることもあり、世の中全体で学問を殺しているような状況。江戸時代はぜいたくさえしなければ、なんとか食べて寝るところもある生活はしやすかったから、学問に多くの時間を費やすことも可能だった。また、「あの先生の教え方はわかりやすい」「いい先生だ」という評判が立てば、宣伝せずとも聴講生が来るようになり、学問好きな人は弟子入りさえ希望するようになる。こうなると学者もやりがいが出るし、いいかげんなことは教えられない。当時も蔵書家がいたが、そういう人の所で書物を見せてもらったり、認められて帯出できるようになると、いろんな書物にも接することができる。今の蔵書機関の多くはやはり身分がモノをいい、「在野の研究者」では入れてくれない。海外ではこういう人も歓迎されるが、日本ではきちんとした職業名というのがどこでも要求されるため、「在野の研究者」=「無職」となる。極めて肩身の狭い思いをさせられるし、配偶者が得られないのも、「いくら勉強ができても生活力がないのではダメ」ということで嫌われる。これも海外ではほとんどといっていいほど見られないことで、その人のよい所を評価する。足りない部分は補えばよい。江戸時代のほうがむしろ西洋的な感じがさせられる。本好き、学問好きは、それだけでも評価された。武士として仕官されることも夢ではない。好きな学問をして、それにより公務員や国公立大学の教官に採用されるなど、今ではあり得ない。それが当時ではあり得た。身分社会とはいえ、実際はかなり出入りがあったのである。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。