政談445
【荻生徂徠『政談』】445
(承前) 御旗本で学識のある人がいた場合、その近所の儒者から若年寄あるいは御番頭(おばんがしら)へ報告させるようにすべき。但し、学識がない人をひいきして学徳があると報告する事例もあるだろうが、とかく学問技芸の事は専門家の申し出(推挙)を証拠にしなければ、どれぐらいの力量かを知ることはできない。学識ある人を選んで御役人にさせたならば、学問は盛んとなる。しかし、学識がなくとも知行高と家筋で御役人になれるものと世間の人々が認識している現状では、実力のある人を推挙してあとで面倒なことになるのを避ける傾向にある。
[解説]役人は学問教養がある者から採る。そのために現在も試験がある。学問は知識が広がり、思索を廻らして事象に対して考察し、最善の対処法を見出す智慧がつく。書物の中にそういったことが書かれており、読まなければ知ることもない。書物を読み学ぶことは、人の考え・意見に耳を傾けることである。もちろん、読書も狭い範囲では知識も教養もやせ細り、人格的に偏狭な人となる。儒者に命じて、近くで学識・学徳のある人がいればその人を推挙させ、もって公務員として採用すべきというのは、身分属性にこだわらず人材を登用すべきであるという徂徠の主張に完全に基づいている。門地門閥によって、学識も教養も良心さえもない者が自動的に世襲したり、誰でもいいから推挙したらそれが評価されるというのでは、底が抜けてしまうこと、現状を見ればよくわかる。
0コメント