資料の保存と使用の問題[2]
資料の保存と使用の問題[2]
東隅書生
実際は百年も生きないだろうと自覚する。「百年人生」と謳うのは、そう簡単に年金を支払う訳にはいかない政府事情が背景にありそうだ、いつまでも働かせて楽はさせない働き方改革。引き伸ばしにひきのばして年金受給前に死んで頂戴ってか。制度の実質が立ち行かなくても、面子として制度は維持される必要がある。それなら受給をできるだけ遅らせて、働かせれば良い、人生五十年は信長時代、今なら百まで生かそうという狙いだろう。
加えて文部科学省の高大接続もいろいろ美辞を掲げ理想を掲げ、理屈を述べるが、結局十八歳に選挙権を与えた都合上、投票率を与党に有利に運ぶためにも教育が必要であり、前倒して実施する必要の現実の中、これまで成人二十歳の大学教育を高校に移すために考え付いた理屈とも見える。政治家主導の選挙対策の辻褄合わせが教育環境に落ちてきての高大接続である。政府は補助金をぶら下げて大学教育の内容にまで介入してきている。政府が想定するモデルケースを言うとおりに実行すれば補助金という名の銭が大学に入る。それが欲しくて右へ倣へとなるのである。国立系の大学なら、スポンサーは国であるから、その施策に倣うのはある意味当然とも言えるが、私学においてもこれが行われる。建学の理念を掲げよと言っておきながら、裏では現金をちらつかせて言うことを聞けという。大学側も私学の矜持というものを以って毅然とした態度をとれればよいが、十八歳人口の減少の中、営業を考えれば補助金はほしい。これは私学としては深刻なことで、地方へ行けば更に大学営業事情は深刻である。教育がある意味での洗脳と考えれば、政府がそれを掌の上に置きたがるのも当然といえば当然の事。
和刻法帖研究の今後はどうなるのだろう。古本市場は、和刻法帖の無知から少し脱して、古書目録に「正面版」といった印刷法についての分類語を記載する店も出てきている。しかし拓本と左版の違いが分からぬ人もあいかわらず多い様子。書誌学者が和刻法帖としっかり向き合って処理し、あるいは講座で知識普及につとめる必要があるだろう。
正面版は拓本法の応用に拠って印刷された日本製の書道手本の印刷法を指す。その際に区別されるのは拓本法を用いない凸字版と左版の和刻法帖である。唐本の碑帖や法帖について同じ用語を用いても困らないのだが、基本的に左版法帖は唐本に存在しないと考えている。日本のつまり和刻本の書道手本印刷の分類法としての用語と考えるべきか、唐本、あるいは朝鮮本の法帖も含めて、印刷法を言う時に、凸字版、左版、正面版を用いるか、少し悩んだのだが、当面は全部に当てて印刷法を語るとき、この三種のいずれかの方法が用いられて摺られていると断言しておくだろう。そしてこの印刷法分類を経る事は和刻法帖を語る上では欠かせない分類条件になることも繰り返し述べるだろう。その三種の印刷法はいずれも整版で行われていて活字本とは区別されるが、整版の中でも違う摺り方があることの認知は分類の際に必須の知識である。
どの様な和刻法帖が伝存しているのか、和刻法帖書目の出版は『和刻法帖』(中野三敏編)収録が現在最大であろう。画像は冊子というスペースに限界があり、とても全容を示すだけの内容にはなっていない。今後、整理が進み画像データベースが構築されてそれが公開されれば、和刻法帖研究環境は進展する。やはり和刻法帖一つ一つの全体が見たいもの。(つづく)
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