元号380
【元号】380
難陳の実際
※これはTwitter用です。
天皇の命により改元手続がとられます。菅原,大江,藤原等の文章道(もんじょうどう)の人々に漢籍から好字を選ばせ(これを年号勘申(かんじん)という),この原案について公卿が審議(これを改元難陳(なんちん)という)したうえで,天皇が決定する定めとなっています。鎌倉時代以降、幕府の干渉により原案が却下されたり、称光天皇の御代には一度も改元を認められなかったりして、室町時代には将軍の内定を経たうえで天皇が形式的に決定するという方式が固定化して、江戸時代まで続きました。
原案に対して学者らによる審議は当時の人たちがどのように漢籍を読み、理解していたかを知る上で貴重な資料となっています。そこで、8代将軍吉宗の享保21年に行われた改元難陳を拙訳で以下に紹介します。
享保の次は元文と決まりましたが、この時、案としては明治も挙がっていました。明治はこれよりはるか昔の応永、文明、慶安の各元号を改元する際にも候補となったものの、いずれも却下されました。享保の改元の際もボツとなるわけですが、なぜダメだったのかも難陳でわかります。
享保21年4月28日、改元につき原案が勘申(かんじん)されました。「明治」を勘申したのは唐橋大内記(菅原在秀)。江戸時代はほとんど菅原家が勘申を拝命されています。
「明治」は西園寺大納言公晃、高辻式部大輔総長が陳弁、つまり賛成の立場から考えを述べ、坊城中納言俊将、清閑寺右大弁秀定が論難、つまり反対の立場から意見を述べた。可否は天皇が決め、「明治」はまたもや却下されました。このあと、江戸時代に終止符を打った新政府が採用した元号が「明治」なのだから、なんとも皮肉なことです(「明治」が積極的に選ばれたわけではなく、天皇によるくじ引き)。享保改元の時に「明治」を採用したならば、「明治維新」「明治新政府」「明治天皇」という言葉もないわけです。
(勘申)明治
(出典)『周易』に言う「聖人は南面して聴き、天下明に嚮(むか)いて治まる」(聖人南面而聴、天下嚮明而治)
※この読みについて、ウィキペディアをはじめ、それをそのまま引用したと思われるブログなど、多くが「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」と読んでいます。これは断句がおかしいので、聖人たる為政者(天子)は南に向いて着座して人々から訴えや要望を聞けば(そのような姿勢で政治を行えば)天下は明るくなり、安寧でよく治まるものだ、という意味。もちろん、天下の様子を聴く、という意味で「天下を聴き」と読んでも間違いではありませんが、「聖人南面而聴、天下嚮明而治」は対句となっており(「而」のような助字が使われている時は特に語調を整える意味もあり、字数を揃える役目もする)、「聖人南面而聴天下、嚮明而治」という切り方だと、後半が頼りないものとなってしまいます。字数がアンバランスで主語が明確でなくなるし。
難 清閑寺右大弁
明治の号について、過去に「治」の字が使われたことがおよそ七、八度ある。いずれも長続きしなかったが、これはいかなることであろうか。
陳 西園寺大納言
明治の号について、論難されるのはいわれのあることであろう。しかしながらこの二字は、意味も作用もすこぶる大きいものである。いったい、天下に明徳を明らかにするのは、聖徳ある天子が天下を治めるためのもの。『礼記(らいき)』に「聖徳は四海(しかい=世界)を照らし、わずかな部分も陰を作らない」とあり、「天下に関わり、鬼神とともに政治を行う」とあるように、これこそ号とするにふさわしいものである。ぜひ採用されるべきだが、なお群議が必要と考える。
二難 坊城中納言
明治の号について、大納言の陳述せる意義は立派に尽くされており、それがし菲才の身にはとても難ずることはできない。が、字の面から分析させていただくと、明の字は日と月、治の字は水と台から成る。台は星の名である。つまり、水のために日や月、あらゆる星が動くことができず、天に洪水が起こることを意味する。以上のことから、明治の号は平時においても恐るべきものであり、ましてや新しい御代にこれを用いるなどいかがなものであろうか。
二陳 式部権大輔
明治の号について、字の面から難ぜられる趣きは、字を構成する部首やつくりが離合することで災いをもたらすということは古来より言われのあることとされている。明の字は確かに日と月であるが、思うに、『周易』には「徳の有る立派な人は天地とともにその徳を合わせ、日月(じつげつ)と時を合わせる」とある。これが明治という言葉がめでたいことを意味する例証となろう。治の字は台(星)と水から成るからよくないと難ぜられるが、「天治」(てんじ。崇徳帝最初の元号)の号も水が天の星々の動きを止めるというように解することもできるが、帝の最初の元号であったにもかかわらず、洪水のような厄はなかった。このように古のことを以て今を見るに、あながちそのような難があるとは言えないのではないか。よって明治の号を採用されるべきと思うが、お上のご判定を仰ぎたい。
享保の改元難陳(候補の号についての討論)のうち、明治については以上です。最初の難陳は出典をもとに言葉の意味からの良し悪しを討論し、二度目の難陳は字の分析から吉凶を判断しています。字の構成から良し悪しを言うのは中国で盛んになされており、日本ではそれほどでもないものの、これでもか、と念押しの意味で字解に踏み込むことはありました。 つづく
0コメント