政談410
【荻生徂徠『政談』】410
(承前) 現在は笞・杖・徒・流罪の沙汰もなく、併せて贖金の定めもなく、ただ当座の措置として罪の軽い民より過料として金を出させているが、このような仕方はよくない。金を出させて暮らしを困らせることを刑とするのは、古にはなかったことである。五刑の定めがないと金を取ることが刑のすべてになってなってしまうからである。五刑の定めがあれば、金がない人はただちに言い渡された刑を受け、金がある人は金を出して謝罪をすることから、刑法の目的にも叶う。もし、罪が疑わしい事例ばかり贖金で済ませたならば、明確な罪で刑が確定した者が金持ちで、金を払って罪を赦してもらいたいと思ってもそれはできないことから、過料はあくまで付加であり、実刑が主となることで、上の御慈悲ともなる。初めから金を出させて刑に代えるやり方は悪手であり、これでは民は心から刑に服する気持ちを持たない。
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