中井董堂『飲中八仙歌』和刻法帖
中井董堂『飲中八仙歌』和刻法帖
題簽を失っていたので表紙の画像は省略している。封面も無い、中井董堂による『飲中八仙歌』の和刻法帖である。印刷は左版で行っているので、拓本とは異なる。
白黒反転のものを何でも拓本と呼ぶのは素人である。拓本法によって作られた和刻法帖は正面版と呼ばれ区別される。和刻本の法帖では木版印刷でも石摺りとか上石と呼ぶことがあるが、これは中国の法帖の呼び方に倣ったもので、和刻法帖においては木版本でも模勒上石などと平気で書いてそれを摺っている。
左版の法帖印刷の事例は朝鮮半島の法帖は確認できるが、中国のものを知らない。正面摺りした中国法帖の代替法として左版で摺ったものと思われる。通常の凸字版印刷の文字と背景を反転させて版木を作れば良いのである。この区別を正確に見極めることが和刻法帖分類には必須の能力であるだろう。
この和刻法帖の魅力の一つには冊末に寄せられている識語の多さについても楽しいところである。中井董堂の落款のすぐ後から亀田鵬斎を筆頭に合わせて八人による文が見られるのである。それがそれぞれに筆意彫りされていて、筆者の書風をそこに目撃することができる。一人中井董堂の筆跡のみの楽しみでは終わらないところがこの和刻法帖の魅力であるだろう。
和刻法帖については個人コレクションの集成ではあったが中野三敏『和刻法帖』が日本法帖をまとめて紹介したものとしては規模の大きなものであった。この出版によって古書市場の和刻法帖は突然高価な古書になってしまった。それまでは古書中でも安価なものであったのだが、風向きが変わって貧乏書生の手に届き難いものになってしまった。
しかし『和刻法帖』も完全なものとはいえず、和刻法帖の存在を示し、そこにも広い世界があることを世に示したのであるが、図録編を開けば、一件の和刻法帖について掲載可能な紙面は極めて少なく、僅かにその存在を画像で見せたに過ぎない。
掲載の一冊の和刻法帖についての全容を知る事はできない。だが今日webによる古典籍の公開が進めば、その悩みも解消されるであろう。そのためには和刻法帖についての知識も共有化される必要があるが、その研究環境整備は緒に就いたばかりである。
方向性としては和刻法帖の全体を示す画像データベースの構築とその和刻法帖についての正しい説明ができるかどうか、印刷法の区別も含めて「毛筆文化」理解を念頭においた整理が必要になるのである。(以上、東隅書生氏編著『東隅随筆』560号附録より許可を得て転載)
0コメント