書物の近代化 毛筆由来本から活字本へ
書物の近代化 毛筆由来本から活字本へ
東隅書生
書物が活字になったのは何時からか。ある時期を指差してこの時からとは言い難い。木版印刷の本と活字印刷の本が並行して行われていただろう。明治二十年代に活字本が木版本を越えたように感じられる。それまでは木版本も新たに作られ市場に出ていたと考えてよいだろう。もじ、活字本への転換が書物の近代化であると考えるのであれば、明治維新からではなく、明治二十年代を一つの境界として考える必要があるだろう。それは同様に毛筆から硬筆へ筆記環境が変化したときが近代化であったとすれば、やはり明治維新を境目に近代と呼ぶのは文化的には些か問題がありそうだ。毛筆文化衰退は硬筆の普及ならびに活字出版本の普及が大きく影響しているものと考えている。その活字文化も明治一五〇年を経過して現代では、字姿こそ明朝活字のようでその実質は明朝体の電子フォントに変換されて、既に活字の印刷ではなくなっていることを思えば、日本人の毛筆時代は千年以上の長期にわたって行われたのである。この毛筆の日用からの脱却が文化的大革命であったと言明しても誤りとは言い切れないのではないか。しかし、取り沙汰されることはまず無いといってよいほど、毛筆の筆記をしていた近世までと現代の筆記の事情について語られる機会は少ない。何故気にならないのか。同じ言葉、同じ文字を使っていると思い込んでいる。連綿と文字文化は共有されていると思っている。毛筆と硬筆との文化的断絶に気がついていない。同じ事は書物の上でも毛筆由来の文字印刷と活字本とでは断絶があるはずなのだが。
江戸期が毛筆筆記の時代であり、近世を庶民の時代と見た人々は、庶民教育に注目し、寺子屋やそこで習われた往来物に注目した。その研究成果は様々な形で公表され共有化されている。しかし、近世が武士に代表される時代であったことも一面の事実であり、儒学振興や中国文化の移植は武士階級や僧侶などによって多く行われた。書道の世界では公文書では御家流を主流としたが、一方で漢詩漢文の教養の普及とともに唐様書道の流行を見たのも江戸期の特色であると言えるだろう。(『東隅随筆』556号より著編者の了承を得て転載)
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