政談373

【荻生徂徠『政談』】373

 ●訴人の事

 丸橋忠弥を訴え出たのに、今だに御奉公を仰せつけられない者がいるという。総じて武家の気風として、訴人をするのは大いなる臆病であるとする。それは自分が意趣ある人と果し合いをするのは命が惜しいことから、その人の悪事を訴えて、お上より殺させるのを臆病というのである。しかし、忠節による訴人はそれと混同させてはならない。が、愚かな気風で、何の区別もなくとにかく訴人は臆病な振る舞いとする。これは武家に限らない。これによりその当時より人々が一つ所に刀を置かないことを懸念して、その時の老中の申しつけにより、今に至るまで御奉公を仰せつけられないのだろう。


[語釈]●丸橋忠弥 原文は「仲也」。由井正雪とともに慶安4年に反乱を企てた首謀者の一人。松平信綱の家臣奥村権之丞の弟八右衛門が忠弥の一味だったが、兄に怪しまれて白状し、信綱に訴人した。これにより計画が露見し、手柄となったものの、八右衛門にはなんの恩賞も下されなかった。その理由を徂徠は訴人という行為は武家においては臆病(卑怯)な振る舞いと考えられているからだとする。しかし、遺恨ある仇(かたき)を自分で討ち果たさずにお上に訴えるのは卑怯だが、天下の大罪を企てようとする計画を訴える行為はそれとは別であるとする。

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