1945年9月27日

1945年9月27日 昭和20年

【内 閣】

東久邇宮稔彦王内閣

総理 東久邇宮稔彦王/外務 吉田茂/内務 山崎厳/大蔵 津島壽一/陸軍 東久邇宮稔彦王(兼)/海軍 米内光政/司法 岩田宙造/文部 松村謙三(兼)/厚生 松村謙三/農林 千石興太郎/商工 中島知久平/運輸 小日山直登/国務 近衞文麿、緒方竹虎、小畑敏四郎/内閣書記官長 村瀬直養/法制局長官 高木惣吉。

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 若松只一/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 下村定

[海 軍]

海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武

【植民地高官】

朝鮮総督 阿部信行/台湾総督 安藤利吉/関東軍総司令官 山田乙三/樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎

【東京都長官】

西尾壽造

【首 長】

大阪府知事 新居善太郎/大阪市長 中井光次/京都府知事 三好重夫/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 熊谷憲一/青森県知事 金井元/岩手県知事 宮田為益/秋田県知事 久安博忠/宮城県知事 生悦住求馬/山形県知事  篠山千之/福島県知事 石井政一/茨城県知事 友末洋治/栃木県知事 相馬敏夫/群馬県知事 高橋敏雄/千葉県知事  斎藤亮/埼玉県知事 関外余男/神奈川県知事 藤原孝夫/山梨県知事 谷川昇/新潟県知事 畠田昌福/富山県知事 岡本茂/石川県知事 平井章/福井県知事 宮田笑内/長野県知事 大坪保雄/静岡県知事  菊池盛登/愛知県知事 福本柳一/岐阜県知事 沖野悟/滋賀県知事 稲田周一/奈良県知事 小田成就/三重県知事 清水重夫/和歌山県知事 小林千秋/兵庫県知事 持永義夫/岡山県知事 安積得也/広島県知事 高野源進/山口県知事 上田誠一/鳥取県知事 高橋庸弥/島根県知事 山田武雄/香川県知事 田中省吾/徳島県知事 岡田包義/愛媛県知事 土肥米之/高知県知事 栗原美能留/福岡県知事 山田俊介 /佐賀県知事 宮崎謙太/長崎県知事 永野若松/大分県知事 中村元治/宮崎県知事 安中忠雄 /熊本県知事 曽我梶松/鹿児島県知事 柘植文雄/沖縄民政府・沖縄諮詢会委員長 志喜屋孝信


昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問。「戦争の全責任は私にある」と語る。

GHQは、支配者マッカーサーを全日本国民に知らしめるため、劇的な出来事が必要と考え、昭和天皇の会談を望んでいた。昭和天皇もマッカーサーとの会談を望んでおり、どちらがイニシアチブをとったかは不明であるが、天皇よりアメリカ側に会見を申し出た。マッカーサー個人は「天皇を会談に呼び付ければ日本国民感情を踏みにじることになる……私は待とう、そのうち天皇の方から会いに来るだろう」と考えていたということで、マッカーサーの要望通り昭和天皇側より会見の申し出があった時には、マッカーサーと幕僚たちは大いに喜び興奮した。昭和天皇からは目立つ第一生命館ではなく、駐日アメリカ大使公邸で会談したいとの申し出であった。しかし日本側の記録によると、外務大臣に就任したばかりの吉田茂が、第一生命館でマッカーサーと面談した際に、マッカーサーが何か言いたそうに「モジモジ」していたので、意を汲んで昭和天皇の訪問を申し出、マッカーサー側から駐日アメリカ大使館を指示されたとのことで、日米で食い違っている。1945年9月27日、大使館公邸に訪れた昭和天皇をマッカーサーは出迎えはしなかったが、天皇の退出時には、自ら玄関まで天皇を見送るという当初予定になかった行動を取って好意を表した。会談の内容については日本とアメリカ両関係者より、内容の異なる様々な証言がなされており(#昭和天皇との会談の内容についてを参照)、詳細なやり取りは推測の域を出ないが、マッカーサーと昭和天皇は個人的な信頼関係を築き、その後合計11回にわたって会談を繰り返し、マッカーサーは昭和天皇は日本の占領統治のために絶対に必要な存在であるという認識を深める結果になった。その際に略装でリラックスしているマッカーサーと、礼服に身を包み緊張して直立不動の昭和天皇が写された写真が翌々日、29日の新聞記事に掲載されたため、当時の国民にショックを与えた。歌人の斎藤茂吉はその日の日記に「ウヌ!マッカーサーノ野郎」と書き込むほどであったが、多くの日本国民はこの写真を見て日本の敗戦を改めて実感し、GHQの目論見通り、日本の真の支配者は誰なのか思い知らされることとなった。連合国軍による占領下の日本では、GHQ/SCAPひいてはマッカーサーの指令は絶対だったため、サラリーマンの間では「マッカーサー将軍の命により」という言葉が流行った。「天皇より偉いマッカーサー」と自虐、あるいは皮肉を込めて呼ばれていた。また、東條英機が横浜の野戦病院(現横浜市立大鳥小学校)に入院している際にマッカーサーが見舞いに訪れ、後に東條は重光葵との会話の中で「米国にも立派な武士道がある」と感激していたという。

GHQ(連合軍総司令部)、新聞及び言論の自由への追加措置覚書。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。