政談314
【荻生徂徠『政談』】314
●能の事
能というのは出費がかさむものである。しかし、今は武家の儀式のようになっているため、他に代替できるものがなければ止めさせることもかなわない。室町家(足利幕府)において御笙(しょう)始めという儀式があり、最初は雅楽が演奏された。能は三代将軍足利義満公に認められ、その頃から始められた。室町家は義満公より次第に衰え出したのであり、衰えた治世に用いられていたものを武家の法として現在まで儀式のように用いられているが、これでよいのだろうか。
[語釈]●笙 雅楽に用いる管楽器の一。匏(ほう=つぼ)の上に17本の長短の竹管を環状に立てたもので、竹管の根元に簧(した)、下方側面に指孔がある。匏の側面の吹き口から吹いたり吸ったりして鳴らす。奈良時代に唐から伝来。笙の笛。鳳笙(ほうしょう)。鳳管。そう。絵は月岡芳年の「月百姿」で、笙を吹く源義光。
0コメント