政談304
【荻生徂徠『政談』】304
(承前) 加藤清正家の古老の物語に、高麗陣の時、朝鮮人と比べて日本人は明国(ミンこく)の戦術には及ばないことがある。大軍を動かすことは自由自在で、日本の合戦にはついぞ見ることができない。城を大勢で取り巻きほぐすのに、今まで城を手痛く攻めていたかと思えば、たちまちのうちにその人数はどこへ行ったのやら、一人も姿が見えないといったことがある。また、城を乗っ取られたら、日本ではその城は早く陥落するものだが、明国の籠城している城を、本田玄蕃という者は日本流の乗っ取り方をして犬死にしてしまった。清正の家来の飯田覚兵衛はそのさまを見て、晋州の城を攻める際、相手方の弓矢の流儀が格別なのを確かめ、後陣を待ち、塀に手をかけて、続く軍勢が一斉に登ろうとする時に真っ先に城の中へ一番乗りを果たした、ということである。日本では、大軍の陣地の跡を見ると、一面糞だらけで足の踏み場もない。一方、明国の軍兵の陣地は糞の跡がまったくない。なぜかは分からないが、とにかく法令がよく行き届いているものだと覚兵衛がしみじみ語っていたそうだ。これは操練が行き届き、大勢の人数を自在に動かすことができるからである。また、黄檗(おうばく)派の法事は日本の法事とは異なり、法事の儀式が見事に整い、乱れることがない。これもまた異国の礼法の形を移したからである。操練のこと、礼のことは、少しは詮議が必要ではないか。
[語釈]●高麗陣 文禄・慶長の秀吉による朝鮮出兵のこと。文禄の役。 ●晋州の城 朝鮮慶尚南道にある。文禄2年6月、清正らの激戦により陥落。 ●黄檗派 禅宗の一派。承応(じょうおう)3年(1654)明より来朝した僧隠元がもたらした。もと臨済宗の一派で、日本では独立した宗派となった。儀式や施設その他、明(ミン)風の特色を有する。京阪電車(宇治線)とJR奈良線に黄檗駅がある。京阪の駅が先に開業。
[解説]日本人は戦(いくさ)の際、陣地でそのまま糞を垂れるというのはふだん、あまり語られないが、中国の陣地は(朝鮮も)きれいなもので、一つも落ちていない。それだけ統率が取れており、排便は所定の位置にすること、それだけの余裕があること、そのようにさせる規律と操練が行き届いているということである。つまり、この当時から日本人は一杯一杯の気持ちであり、その場に垂れ流してしまうということ。また、仮設の便所を設けても、そこへ行こうとしても上官が「持ち場を離れるな」「隠れてなにをするかわからぬ」と脅すために持ち場を離れることができず、結局、我慢できなくなってその場で垂れてしまうということ。これと直接関係ないと思うが、かつて、泥棒の世界では、盗みに入った家の庭先などで糞をするという習慣があったとされる。これは一種のまじないといわれ、また、それだけの度胸・余裕があるところを示すため、とも言われる。どうも日本人というのは極限状態に追い込まれると脱糞をその場でするというクセがあるようだ。他の国の昔話ではまず聞かないことである。そんなに自信がなければ戦争なんかせず、挑発もやめたほうがいい。
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