政談299
【荻生徂徠『政談』】299
●御城下にて早馬、大名供廻りの事
御城下にて御用以外は早馬を禁止する事は律に定める法であり、和漢ともに古はこのようであった。現在は御城下が広大であるため、内曲輪にとどめるのがよいか。この法制がないために、大手へ馬を乗り入れる者も時々ある。
[語釈]●早馬 はやうま。一般には,急使の馬,またその馬に乗る急使などを意味し,早打(はやうち)などとほぼ同義である。中世とくに鎌倉時代に頻出し,またこの時代にはやや特殊な歴史的意味がある。鎌倉幕府は開創の当初から鎌倉・京都間の東海道に,蒙古襲来後は,京都から山陽道さらに博多まで駅逓(えきてい)制度を設けたが,これは馬によって迅速な通信連絡を図るものであるから,早馬制度ということができる。1261年(弘長1)東海道の宿々に2疋の早馬を常備させたが,その最短速度は,鎌倉・京都間で3,4日,京都・博多間が6,7日ときわめて速く,この制度が鎌倉幕府の安定,強化に役立った点は計り知れない。 ●大手 大手門(おおてもん)。城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。元は追手門(おうてもん)と書かれ、高知城など、城によっては現在も追手門と表記しているところもある。これに対して背面の門は搦手門(からめてもん)と呼ばれる。防御のために厳重な築造がされ、大規模な櫓門を開いたり石塁などにより枡形をしていることが多い。見た目も大きく、目立つように造られる。また、橋は土橋であることが多い。
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