1945年8月9日

1945年8月9日 昭和20年

【内 閣】

総理 鈴木貫太郎/外務 東郷茂徳/内務 安倍源基/大蔵 広瀬豊作/陸軍 阿南惟幾/海軍 米内光政/司法 松阪広政/文部 太田耕造/農商 石黒忠篤/軍需 豊田貞次郎/運輸 小日山直登/大東亜 東郷茂徳(外相兼任)/厚生 岡田忠彦/国務 桜井兵五郎/国務 左近司政三・国務(情報局総裁)・下村宏・安井藤治/内閣書記官長 迫水久常/法制局長官 村瀬直養

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 富永恭次/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 土肥原賢二

[海 軍]

海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武

【植民地高官】

朝鮮総督 阿部信行/台湾総督 安藤利吉/関東長官 山田乙三/樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎

【東京都長官】

西尾壽造

【首 長】

大阪府知事 新居善太郎/大阪市長 坂間棟治/京都府知事 三好重夫/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 熊谷憲一/青森県知事 金井元/岩手県知事 宮田為益/秋田県知事 久安博忠/宮城県知事 生悦住求馬/山形県知事  篠山千之/福島県知事 石井政一/茨城県知事 橋本政実 /栃木県知事 相馬敏夫/群馬県知事 高橋敏雄/千葉県知事  斎藤亮/埼玉県知事 福本柳一 /神奈川県知事 藤原孝夫/山梨県知事 谷川昇/新潟県知事 畠田昌福/富山県知事 岡本茂/石川県知事 平井章/福井県知事 宮田笑内/長野県知事 大坪保雄/静岡県知事  菊池盛登/愛知県知事 古井喜實/岐阜県知事 沖野悟/滋賀県知事 稲田周一/奈良県知事 小田成就/三重県知事 清水重夫/和歌山県知事 小林千秋/兵庫県知事 持永義夫/岡山県知事 小泉梧郎/広島県知事 高野源進/山口県知事 上田誠一/鳥取県知事 高橋庸弥/島根県知事 山田武雄/香川県知事 田中省吾/徳島県知事 岡田包義/愛媛県知事 土肥米之/高知県知事 栗原美能留/福岡県知事 山田俊介 /佐賀県知事 宮崎謙太/長崎県知事 永野若松/大分県知事 中村元治/宮崎県知事 安中忠雄 /熊本県知事 曽我梶松/鹿児島県知事 柘植文雄/沖縄県知事 (不在)


長崎市に原爆投下。

長崎市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に、アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して投下した、人類史上実戦で使用された最後の核兵器である。アメリカ合衆国連邦政府は、長崎市に投下した原子爆弾のコードネームを「ファットマン(Fat Man)」と名付けていた。制式名称はマーク3(Mk.3)核爆弾。(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。ファットマンの投下より、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。


ソ連軍が満洲・朝鮮・樺太の国境を突破。

2度目の原爆投下と前日のソ連対日宣戦布告を受けて、御前会議を開催。翌日未明、ポツダム宣言の受諾を決定。

大湊空襲により、日本海軍の駆逐艦「柳」が大破。戦後解体。

毛沢東中国共産党主席、ソ連参戦を歓迎と声明(延安)。


[第21爆撃機集団任務要約]

任務番号第322号

 日時 1945年8月8-9日

 目標 日本石油尼ヶ崎製油所( 90.25 - 1203 )

 参加部隊 第315爆撃団

 出撃機数 107機

 第一目標爆撃機数 88.78%(第一目95機、臨機目標2機)

 投下弾種類、設定 M64 500ポンド通常弾:1/10秒遅動頭部、未遅動底部信管付

 投下弾トン数 第一目標902トン、ヴィンドラン機16トン、臨機目標22.3トン

 第一目標投弾時刻 10日0時29分-2時11分

 攻撃高度 15200-17300フィート

 目標上空天候 雲量0-8

 損失機数 0

 任務要約 写真偵察は本任務と任務番号281号とを合せ、工場のほぼ100%が破壊されたことを示した。5機が目視、90機がレーダーで爆撃した。10機が爆撃不能。2機のウィンドラン機も第一目標を爆撃した。敵機27機が目撃されたが攻撃してこなかった。高射砲は重口径と中口径で散発かつ不正確から正確。目標上空でサーチライトを伴った。いくつかは予測集中を伴う弾幕射撃だった。B29 1機が対空砲火により損傷した。

 平均爆弾搭載量:20648ポンド

 平均燃料残量:941ガロン

 14機が硫黄島に着陸した。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。