政談290
【荻生徂徠『政談』】290
(承前) 今の役人は、御老中をはじめとして、ただ下から上がってくる案件ばかりを処理する事務役目と思い、行政ということを夢にも知らない状態である。皆、身を入れて、適度に暇な時間を作ったならば、自然と工夫するようになり、治めることも分かってこよう。御老中・若年寄・諸番頭・諸物頭・寺社奉行・町奉行・勘定奉行・代官は、いずれも行政の役人である。下から上がる事ばかりを処理し、取り次ぐ役ではない。支配下や組の中に悪人が多くなり、風紀が乱れるのは、その頭(かしら)の責任である。地頭も年貢を取るばかりの役ではない。その知行所を治めるための役である。行政というのは住民の非法を咎め正すばかりが務めではない。人々を教化教導して悪人を出さず、風紀がよくなるようにすることである。されば、捌きや取次ばかりを役目と心得るのは、下を他人のように見るためであり、これでは身を入れて務めをしようとはしないものである。また、人々の非法を咎め正すことを以て行政と思うのは、人々をまるで敵(かたき)のように思い、敵を相手にするような考えをするからで、これでは人の頭となり、組を支配する道に外れてしまっている。
[解説]今の首相は大変な狭量のため、街宣で「あのような人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ。もちろん本音である。しかし、一国の首相、ましてや選挙による議員で選ばれ、更に首班指名で選出されたのだから、個人的には好き嫌いがあっても、公人中の公人としてはすべての国民を治める立場なのだから、「あのような人たち」呼ばわりして敵視する(「負ける」という言い方がそういう感情であることを表している)のは徂徠も言うように、役目の本旨を理解せず、道に外れた所行である。徂徠は、こういう人はただちに代えるべきという立場であり、為政者としてふさわしくない者に対しては厳しい目を持っている。
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