政談279

【荻生徂徠『政談』】279

(承前) 旗本の面々も朝出という事を第一の務めと思い、未明より御老中や若年寄の屋敷へ詰め、「本日もご壮健のご様子、重畳に存じまする。くれぐれも息災にて」などと言って帰る。これはどのような意味があるのかと聞いてみたところ、「御老中や若年寄に自分を覚えてもらうため」とのこと。神明のような大智才であっても、形式的な客として挨拶をするだけでは、その人の器量や才智を知ることはとてもできない。総じて人を知る事は、その人をよく知る人の推挙でなければ不可能である。昔の御老中や若年寄は、時々親類や知人とも会い、話も聞き、下情もこれによって知り、また、人柄や器量を知るには、これは難しいことだが、よい人を見つけ出すという熱意があったから、孔子の「汝(なんじ)が知らん所を挙げよ」と言われたのに合致し、器量ある人が世に出ることとなった。


[語釈]●「汝(なんじ)が知らん所を挙げよ」 『論語』子路篇にある=既出。賢才を採用するにあたり、小さな過ちは不問に付して実績を評価し、もし賢才に心当たりがない場合は、それを知っている人に聞くのがよい、ということ。


[解説]重職者が出勤する前に、部下や関係者らがその自宅に押し掛けるのはこの当時からあった。徂徠は自分の顔と名前を覚えてもらうのが目的と言っているが、そのような人たちばかりではなく、いろいろな頼み事や今後についての件など、仕事上の用件がほとんど。ごく私的なことは朝の慌ただしい時には失礼だから、夕方以降、あるいは昼休みなどにした。こういうことは今もほとんど変わりない。ところで、毎日公表されている首相動静を見ていると、今の首相について「朝、来客なし」が多い。来客がないまま官邸へ向かう。公邸に住まず、自宅通いを続けている。自宅だと朝早くは気が引ける人も少なくないだろうが、朝しか都合がつかない人もいるわけで、こういう人たちと会うのがいわば首相のその日の最初のスケジュールである。首相動静も完全ではなく、記載しないことも少なくないとのことだが、「来客なし」が続くと不自然である。陳情や要望を一切聞かないという人かというとそうでもなく、特定の学校法人に対する破格の便宜疑惑のように、親しい人との接触はある。ただ、そういうことは記載させないようにしているとすれば、あらぬ疑惑を持たれることともなる。大公人たる者、やましいことはしていないはずだから、誰と面会したかといった程度は常に公表すべき。もし、本当に来客がないというのであれば、今の首相はよほど人嫌いなのか、時間外は面会謝絶という主義なのか(以前は官邸入りする前でもマスコミ関係者らと会食するなど、精力的に行動していたから、今になって面会謝絶というのもおかしい)。どうも不自然である。


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